戦前の第五回大会の開催を失った札幌ではあるが、戦後間もなくから東京オリンピックの開催と関連して、冬季大会の開催招致が取り上げられるようになってきた。
東京都は昭和二十七年五月九日に、夏季オリンピック第一七回大会の招致を表明し、招致活動を展開していくようになる。第一七回大会は三十年六月にローマ(イタリア)へ決定したが、東京都では再度、開催地に立候補し三十一年十一月二十二日に、第一八回大会の東京開催が決まった。戦前は東京、札幌がセット開催であったこともあって、札幌市も冬季オリンピックを招致すべきとの意見が、最初は市議会でなされる。三十一年十二月二十日の定例会にて、山口明議員が大会招致について質問し、翌三十二年三月二十日の定例会では、札幌市へ招致に関する意見書が満場一致で可決をみていた(九期小史)。これに対して市では、財源の問題から招致には否定的であり、三十三年四月二十八日に臨時会での山田長吉議員の質問にも、高田富與市長は立候補見合わせを回答していたのであった。
しかし三十四年になり、六月に全日本スキー連盟西野陸夫副会長が来札し、三十七年の世界スキー選手権、四十三年のオリンピック冬季大会の開催を札幌側に打診し、これ以降、オリンピック招致も現実味を帯びる話となってくる。続いて三十五年二月に、ブランデージIOC会長が「日本でオリンピックを開催するなら札幌地区が適当」と談話したことから、原田與作市長は三月一日に財政がゆるせば開催するとの意思表示をしていた。
全日本スキー連盟と日本スケート連盟では十一月三十日に、一九六八年(昭43)冬季大会の日本招致を正式決定し、オリンピック冬季大会招致委員会を設置し、三十六年四月までの期限を設け開催地の募集を始めた。こうした外的な情勢から札幌市でも、それに応募し招致に向けた動きを始めていくことになる。
札幌市がオリンピックを招致し、開催する目的・理由は以下の六項があげられる。
①幻となった第五回大会以来の悲願を果たすこと
②開催に当たり国、道の補助を得て都市基盤を整備すること
③札幌市を世界にアピールすること
④観光客の誘致をはかること
⑤冬のスポーツ都市としての地位を確立すること
⑥開催年の四十三年が札幌創建一〇〇年に当たり記念事業ともなること
開催地の公募に対応して、札幌市の立候補を求めたのは体育関係団体であった。札幌スキー連盟は十二月八日に市へ申し入れを行い、十二月二十三日には道体育協会、道スキー連盟、道氷上競技連盟が市長へ招致要請をした(二十七日には道知事へも要請)。原田市長も既に十二月十三日の記者会見で「基本的には歓迎」と表明し(道新 昭35・12・13)、立候補の情勢は整い始めていた。