ビューア該当ページ

開会

132 ~ 134 / 1021ページ
 大会本部が四十六年十二月一日に、真駒内のオリンピック村へ移転し、本格的な開催準備に入り、翌四十七年一月十二日にオリンピック村が開村した。この日は日本選手団の結団式もなされ、これ以降、外国選手団が続々と到着して入村し、オリンピックムードは高まっていった。一月二十五日から芸術祭も始まり、雪まつりも例年より繰り上げられ二十七日に始まっている。
 オリンピックの聖火は、四十六年十二月三十日に沖縄に着き、四十七年一月一日に東京へ運ばれ、国立競技場にて記念式典が行われ、二日に東京を出発して国内リレーが開始されていた。聖火は二十日に函館に着き、道内はここから稚内、釧路へ分火され道南、道東、道北の三コースに分かれて札幌へと目指された。三コースの聖火は、そろって二十九日に札幌へ到着して道庁の赤レンガ庁舎に保管され、翌三十日に最終日の雪まつり会場にて聖火集火・歓迎式が行われ、市役所前庭の聖火台でともされて、オリンピックの開会を待つことになったのである。

写真-13 大通をいく聖火と歓迎する市民

 大会直前には、オーストリア選手がアマチュア資格に抵触して出場停止を受け、オーストリアのボイコット問題が浮上するなど多少の混乱はあったが、二月三日の開会式を迎えた。この日は朝の雪もやんで好天となり、零下五度の気温の中で真駒内スピードスケート競技場に、五万人の大観衆を集めて開会式が開かれた。選手・役員団の入場行進、大会名誉総裁昭和天皇の開会宣言、前開催地グルノーブル市より五輪旗の引き渡し、聖火の点火、そして風船スケーター八四八人の小学生によって一万八〇〇〇個の風船が空に放たれた。「力強く、美しく、印象深い開会式」であり、「平和と友好の希望をたぎらせながら、一一日間にわたる祭典はいま幕をあけたのだ」と、開会式の様子を『道新』(昭47・2・3夕)は報道している。