競技では二月六日の七〇メートルジャンプ競技で笠谷幸生、金野昭次、青地清二の三選手によって金、銀、銅のメダルが独占され、「日の丸飛行隊」の活躍に日本中が沸騰(ふっとう)し、フィギュア・スケート競技の女子シングルでも、華麗な演技と可憐な人柄のジャネット・リン選手が、市民から人気を博するなど、後まで印象深く話題の多い大会でもあった。
大会の入場券の売り上げは六四万二一八五枚、金額六億六〇三一万円、観客動員数は無料分も合わせ六五万四三七〇人というように、大会史上これまで最高の数値であった。大会中の宿泊客数も、延べ二〇万人と見積もられている。
組織委員会では大会中、三九二人の職員体制をしき、派遣職員、臨時職員、通訳、競技役員などを含めた大会従事者は一万六三七三人に及んでいた。陸上自衛隊オリンピック支援集団も競技場の整備、輸送、通信に三六四一人、延べ一八万七〇〇〇人を動員していた。北海道警察本部では会場警備、交通整理などに約七〇〇〇人を配置し、関係の組織・官公署庁での動員も膨大なものであった。
開閉会式、関係行事などへの児童・生徒や市民の参加・協力、オリンピック協力会の活動などは、『第一一回オリンピック冬季大会札幌市報告書』に詳しいが、大会中は多数の市民も、大会の成功と世界との友好を願って協力し、競技場にて選手に声援を送っていたのである。
こうして市内が熱気に包まれていたオリンピックも、二月十三日の閉会式で静かに幕を引き、三五カ国の選手が集ったオリンピック村も、十七日の閉村式をもって閉じられた。
写真-14 真駒内団地となった旧オリンピック村