この舗装の促進は、交通路線としての整備だけではなく戦争前からの課題であった凸凹道、ドロ道、砂塵の解消をめざすという市民の生活改善でもあった。
次いで六年計画のなかでは、三十九年末に二一〇キロメートルであった市内の舗装道路を、四十五年には四三〇キロメートルとするものであった。さらに五年計画では、四十二年四月現在で三一七キロメートルである舗装道路を四十六年の五年計画終了時に七七二キロメートルとしていた。
『札幌市統計書』によると、昭和三十五年中と思われる数値では、道路延長一三五四キロメートル余に対して舗装道路延長は一八三キロメートル余である。内訳は一級国道三六キロメートル余のうち舗装三二キロメートル余、二級国道一五九キロメートル余のうち舗装八七キロメートル弱、道道七二キロメートル余のうち四キロメートル、市道一〇八六キロメートル余のうち六一キロメートル弱である。それが四十七年三月三十一日では道路延長二四八二・四キロメートルのうち六三九・七キロメートルとなり舗装率二五・八パーセントとなっている。内訳は国道一二一キロメートル余のうち一二一キロメートル余で一〇〇パーセント、道道一九六キロメートル弱のうち一四三キロメートル余で七三・三パーセント、市道二一六六キロメートル弱のうち三七五キロメートル余で一七・三パーセントとなっている。一〇年計画開始の時の目標は概ね達成したと言い得るのであろう。
街路網の整備については、予算表から判明するものは前述したが、図1の昭和四十年の街路網計画図(道央新産業都市における札幌市建設六年計画策定時)(広報 昭40・11)と図2の「札幌市建設五年計画」の街路網計画を参照いただきたい。
図-1 「道央新産業都市における札幌市建設六年計画」の街路網図
『広報さっぽろ』(昭40.11)
図-2 「札幌市建設五年計画」の街路網図
『広報さっぽろ』(昭43.2)