食糧難や物価高騰を打開するため、戦後の配給制度はめまぐるしく改革が加えられた。昭和二十年十一月二十日には生鮮食料品の配給および価格統制が撤廃されたが、その後水産物は価格が急騰し入荷も困難となったため、結局翌二十一年三月十六日には再び統制の対象となった。一方青果物は価格のみ統制が加えられ、特に蔬菜が品薄となったことから、五月二十五日には廉売配給制度が導入されたが、わずか三日で中止され、こちらも八月一日に再統制が実施された(昭21事務)。この廉売配給制度は、生産者が荷受機関に出荷する際には自由に価格を設定できるが、配給する際には地方長官が決定した廉価を適用し、高値で集荷した荷受機関に価格差分を国から補助することとなっており、補助金が得られず生産者から高値で品物を買い取ったヤミ業者との価格競争に勝ち、物資の横流し、闇市への放出を防ぐ目的で施行された(道新 昭21・2・28)が、補助金不足に陥ったため中止にいたったのである。
このように供出の円滑化と物資確保・物価安定を目指し、生産者と消費者に配慮した供出・配給制度の改革を行うためには、荷受機関の整備が必要となるが、一方では荷受機関の「中間搾取的な色彩」の排除(道新 昭21・6・6)が求められることになり、札幌市では特に青果・蔬菜の荷受機関の整備が進まなかった。五月二十五日には南一条西四丁目に札幌青果株式会社が設立された(道新 昭21・5・26)が、同社は九月には市設薄野小売市場内の一部を借りて営業を続け、昭和二十四、五年にかけて立ち退き問題をおこしている(道新 昭25・4・29夕)。また荷受機関の組織は株式会社がよいか組合がよいか、あるいは一本化すべきか、複数設立して競争原理を導入すべきかなど、生産者、荷受機関、消費者それぞれの立場で意見の対立があり(道新 昭21・6・27)、十一月二十五日には青果物荷受機関がなぜできないのかをテーマとする公聴会も開かれた(道新 昭21・11・26)。
しかし昭和二十二年になると、指定物資配給手続規程にしたがい、四月十六日臨時物資需給調整法に基づく鮮魚介配給規則が公布され、登録小売店と公認荷受機関に関する規定がなされた。これにより消費者は好きな鮮魚店を登録し、そこから配給をうけることとなり、また登録小売店側は、三〇〇世帯一五〇〇人を基準に消費者から登録されないと、配給店としての営業許可がないため(道新 昭22・5・1)、この制度は自由販売を取り締まるとともに、「購入先を自由に選択させる事によって小売業者の不誠実又は不正を抑制する」(昭22事務)こととなった。
登録店として申請する商店のなかには、新しく商売を始める人々もいた。札幌市内の鮮魚店は、昭和二十二年三月札幌水産物商業協同組合を結成していたが(札幌水産物商九十五年)、五月二十八日の時点で登録申請していた三〇〇軒のうち、組合員の店は二二一軒で、それ以外の新規開店の店も七〇軒ほどあった(道新 昭22・5・28)。ちなみに六月六日に行われた第一回店舗登録では、登録申請店舗三三五のうち、登録店となったのは二三〇軒、落選一〇五軒であった(昭22事務)。またこの制度は、八月には加工水産物の小売配給店(登録申請店舗数五三〇、当選四五〇、落選八〇)、九月には青果小売店(登録申請店舗数二三五、当選一八三、落選五二)、十月には衣料品店(登録申請店舗数一二一、当選九六、落選二五)などでも実施された。ただし衣料の場合は切符制が復活し、登録業者となれるのは既存の繊維製品販売業者や企業整備により転廃された業者に限られており、新規の開店は抑制された(道新 昭22・9・23)。また翌二十三年五月には、みそ、醬油、牛乳などの食料品でも登録制度が実施されたが、みそや醬油の場合は手続きが煩雑だったため評判が悪く、十月には廃止され、消費者と小売業者を六カ月間固定する制度に改められた(昭23事務)。
一方、公認荷受機関の設立をすすめることは、独占企業禁止の主旨にのっとり、荷受機関の複数化を目的としており(昭22事務)、昭和二十二年八月二十五日までに登録申請があった青果物の荷受機関は、札幌青果物荷受協同組合(南1西1、理事長太田次作)、エルムの鐘(南4西4)、札幌青果物株式会社(南6西4、前述の札幌青果株式会社と考えられる)、札幌青果物協同組合(北1西24、理事長宇野秀次郎)、札幌青果物荷受組合(北1東2)、北海道物産株式会社(南3西3)の六組織にのぼり(道新 昭22・8・28)、このうち四組織が登録された(どの組織が登録されたかは不明)。また水産物の荷受機関も登録申請が七軒あり、このうち五軒が登録され(昭22事務)、これらのなかには昭和二十一年八月に設立された〓高橋水産株式会社が二十二年八月に結成した札幌組水産物荷受組合(昭和二十三年四月高橋水産に吸収)、二十二年十二月札幌魚卸株式会社が名を改めた札幌鮮魚介配給株式会社(昭和二十三年二月二十三日〓札幌魚市場と改称)があったとみられる(札幌水産物商九十五年)。