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札幌の戦後開拓

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 さて、昭和二十年度から同三十七年度までの一八年間に札幌市をはじめ石狩支庁の各町村に入植した戦後開拓者は、表19のように二五一八戸である(この数字は、離農者の跡に再入植した者・増反に振り向けられた者を含む)。これらの入植者を道内・道外の出身地別にみると、全体の六七パーセントは道内出身者である。道外入植者は樺太がその三四パーセントで最も多いが、東京都も二〇パーセントを占めているのが注目される。また、札幌市と手稲町の入植戸数は合わせて五七六戸で石狩管内では最多である。次に入植者の定着状況に目を向けてみよう。石狩支庁の平均定着率は七六・二パーセントであるが、これを札幌市と手稲町についてみると、札幌市は五九・六パーセント、手稲町は六七・七パーセントとなり、札幌市の定着率がかなり低い。この三十八年の時点では、札幌村・篠路村・琴似町・豊平町・白石村の二町三村は既に札幌市に編入されているから、札幌市の入植者は事実上これら五町村への入植者を意味する。そして、拓北農兵隊の入地にもみられるように、これらの入植者は、戦後開拓の時期区分でいえば「緊急開拓期」に入植した都市戦災者が中心であったことから、こうした定着率の低さに結びついたものと考えられる。
表-19 石狩支庁の戦後開拓者
市町村名入植戸数昭和37年度末戸数増反戸数定着率
%
札幌市54532519059.6
手稲町31211767.7
江別市4303888090.2
千歳市3382699679.6
広島村1971481175.1
恵庭町129904770.0
石狩町363613100.0
当別町4373252474.4
新篠津村3082596084.1
厚田村35344697.1
浜益村3224175.0
合計2,5181,91958576.2
石狩開拓営農促進協議会編『石狩開拓のあゆみ』(昭38)より作成。

 次にこれらの入植者を受入れた札幌市の開拓地区は、表20のようになる。みられるように政府が直接開拓地区の整備を進めた真駒内など国営五地区と、北海道などの地方自治体・農地開発営団・民間会社などが政府に代って整備した前田などの代行七地区に分かれており、その計画入植戸数は合わせて三八二戸であった。
表-20 札幌市の開拓地区
<国営地区>
工 区面積計画戸数入植年度地区名
入植増反
 
真駒内
ha
1,640

87

36
 
昭和21
 
真駒内
石山497407昭和20
有明92
厚別99213449昭和20厚別
元野幌4652719昭和23
合計3,603288113
<代行地区>
地 区面積計画戸数入植年度
入植増反
 
前田
ha
124

16

7
 
昭和20
沼の端345昭和20
三里塚4304339昭和21
真栄1461017昭和23
発寒10564昭和20
野津幌881112昭和21
下福移203昭和20
合計9479479
北海道編『北海道戦後開拓史 資料編』(昭48)より作成。