これらの開拓者たちは、入植地の選定・開墾生活を通じて行政との関りで処理すべき問題が山積していた。このため、開拓地毎に
帰農組合・
開拓組合・
就農組合といった組織が自生的に生まれ、政府の補助金や融資金の交付・土地配分などで行政の末端組織的な役割を果たした。これらの自主的組織がもとになって、昭和二十三年以降全道の開拓地に開拓農協が設立された。前年の二十二年「
農業協同組合法」が施行され、一般農村にはこの法律に基いて農協が設立されるが、開拓者には特別の営農指導が必要なことから、一般の農協とは区別されることになった。石狩支庁管内では、二十三年から三十八年までの間に計四一の開拓農協が認可・設立されたが、合併や解散を繰り返した結果、三十八年の時点では二三組合・加入者一一六五戸に減少した。
札幌市域における開拓農協の設立及び解散・合併状況を示すと表21のようになり、二十三年から二十七年にかけて九組合が設立された。最初に設立されたのは手稲町の曙開拓農協で、前田・稲穂・星置の三地区が中心であった。組合の設立とともに、開墾・農道・排水・住宅などの補助事業をはじめ開拓者への冷害資金・営農改善資金などの政府・系統資金の取り扱いを行ってきたが、とりわけこの地区は飲料水の確保が課題だったので、札幌市の補助を得て掘り抜き井戸工事を行った。次に設立された豊平町開拓農協は、最初は組合員一四五戸で発足したが、その後組合事業が不振に陥ったことから、真駒内第一・石山の両開拓農協が脱退した。また、平岡・三里塚・真栄・清田を組合地区とする豊平東部開拓農協は、三十年に里塚開拓農協と合併し、その後開拓地の電灯設備事業に着手して三十二年に完成した。二十四年設立の札幌市開拓農協は札幌市一円を組合区域としたが、既に北郷東京団・第一開拓促進組合・東京板橋団・中央
開拓組合・米里
開拓組合・東京大森団の六任意組合が自主的に生まれていた。これらの任意組合が農協法の施行を契機に統合・法人化を目指し、一年間の準備期間を経て開拓農協を設立、事務所を札幌市役所内に置いて各種の補助事業・各種資金の取扱いを開始した。二十七年には開拓地の無灯地域解消を目的として一〇〇〇万円の工費で受電設備事業を行っている。
組合名 | 設立許可年月日 | 戸数 | 解散・合併 | 戸数 |
解散年月日 | 合併年月日 |
曙 | 昭23.4. 9 | 17戸 | 昭46.1.26 | | 15戸 |
豊平町 | 23.4.14 | 145 | | 昭46.4.27 | 64 |
里塚 | 23.9.27 | 15 | 昭30.8 | | 25 |
真駒内第一 | 24.2.17 | 35 | | 昭46.7.27 | 18 |
有明 | 24.4. 1 | 39 | 昭28 | | 39 |
真駒内 | 24.5.10 | 18 | 昭28 | | 38 |
札幌市 | 24.7.22 | 176 | | 昭46.4.27 | 108 |
豊平町東部 | 24.12.6 | 19 | 昭47.3.21 | | 25 |
石山 | 27.6.13 | 19 | | 昭46.4.27 | 27 |
北海道編『北海道戦後開拓史 資料編』(昭48)より作成。 |
昭和三十年代になると、離農者が増加する中でこれらの開拓農協の統廃合が進み、三十八年当時、札幌市と手稲町の組合は豊平・石山・真駒内第一・豊平東部・手稲町曙の五組合であった。四十年代に入るとさらに解散・合併が進み、政府の開拓組織の整備方針をうけて、四十七年三月までに札幌市の開拓農協はその姿を消した。