戦前の同村は明治期から玉葱が特産物となっていたが、明治四十三年設立の玉葱出荷組合が破綻したのを契機に、負債に苦しむ農家は農地を手放し、所有権が札幌市の地主に移動した。農地改革前の村内には、北大農場(約二七八町歩)・佐藤農場(二〇〇町歩)・日の丸農場(約一三〇町歩)等の大農場があった。その他四〇~五〇町歩の農家経営が四~五戸あり、これに札幌在住の不在地主の所有地を併せると全耕地の約三分の一を占めていた。村内の小作地は約七〇パーセントを占め、昭和八年より毎年自作農創設事業を実施してきたが、あまり成果は上がっていなかった。
二十二年三月の第一次買収では、まず苦情の少ない不在地主の農地買収を終え、二十三年十二月までに買収予定面積の約八六パーセントと売り渡し計画の約七三・四パーセントを終了した。農地改革の結果、一〇四八町歩にわたる不在地主の所有地を買収し、一方で純粋の小作農民は改革前の僅か三・一パーセントに減少し、自作農は三・二倍に増加した。