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閉山

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 四十六年九月、操業が停止され、十月から休山に入ったが、事実上は閉山となった。手稲鉱山の採掘権は石狩国第二九八号、第三〇一号、第三三三号の三つであり、これらは四十七年二月、五月、五十一年七月と次々と放棄され、いずれも消滅した(採掘原簿)。最後に、戦後の従業員数の推移(表41)と閉山までの産出量(表42)を示しておこう。こうして手稲鉱山は、その発見から閉山までの間に、金九・六トン、銀一五〇トン、銅八三〇〇トンを産出し、発見以来ほぼ四〇年間にわたる幕を閉じたのである(浅田政広 北海道金鉱山史研究)。
表-41 戦後手稲鉱山における従業員数推移
従業員従業員
昭22897昭3431
 23400 3523
 24 3627
 2594 3750
 26 38
 2755 3954
 28 4060
 2929 4149
 3030 4253
 31 4350
 32 4443
 33 4545
昭和22年は同年版『北海道年鑑』,23年は『道新』(昭22.6.3),25,27(7月末),29,30,34,35,37年は通産省鉱山保安監督局『鉱山名簿』,27年は『北海道の金属鉱業』,36,40年は通産省鉱山局『金属非金属・石灰石・石油 鉱山名簿』,39年は札幌鉱山保安監督局『金属鉱山等か行鉱山名簿』,41年は通産省鉱山局『鉱山製錬所名簿』,42年以降は通産省鉱山石炭局『鉱山製錬所名簿』
1.昭和22,23年は6月末頃と思われる。
2.25年は6月末現在。
3.27年は3月末と思われる。7月末現在では38名であった。
4.その他は12月末現在。

表-42 戦後の手稲鉱山粗鉱生産量と品位
粗鉱
鉱量(t)金(g/t)銀(g/t)銅(%)
昭20186,0432.550.10.31
 2171,1272.0300.2
 2233,5782.1550.5
 2327,2902.31181.3
 2425,9022.91321.3
 258,3086.91221.3
 2660215.52674.3
 2762814.62364.0
 2844319.22965.8
 2968331.23504.4
 3099529.12642.7
 3190221.52562.3
 322,93110.51261.3
 332,78312.51321.4
 342,99513.11102.0
 353,74513.2981.2
 366,72310.6800.8
 377,8329.9890.5
 387,5629.4750.4
 398,4738.51170.5
 408,6106.71510.6
 418,5237.81500.6
 428,8616.41210.9
 439,7324.41140.7
 448,6623.21460.8
 459,5322.71621.1
 466,3675.81261.0
『本邦鉱業の趨勢』,『鉱山製錬所生産年報』,『日本鉱山誌』より作成。