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鉱山街の形成

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 再開時、石山地区に社宅一二四戸などがあったものの、本山・水松沢には社宅皆無であり、二十五年度から急ピッチで新築されていった。すなわち、二十五年度二四棟四八戸、二十六年度六〇棟一二〇戸、二十七年度一一棟二二戸という具合に建設され、三十五年三月現在、戸数は水松沢一四戸、石山一五三戸、本山二八一戸に達した。寮は石山に二棟、水松沢に一棟、本山に六棟開設されたが、本山の二棟は三十五年までに老朽や火災で姿を消した。この間、本山には供給所(昭25・12)、診療所(26・9)、小中学校(26・10)、浴場(30・8)、駐在所(30・11)などが開設・建設され、鉱山街の体裁を整えたのである。その後、本山には四十七年までに、さらに二〇一戸の社宅の建設が進み、もう一軒の浴場、美容室、体育館なども新設された。このほか四十年二月には札幌市によって無意根山荘、市民集会場が建設されている(豊羽鉱山株式会社十年史、同三十年史)。