表-46 豊羽鉱山における事故件数 |
年度 | 死亡 | 重傷 | 軽傷 | 計 |
昭27 | 0 | 39 | 85 | 124 |
28 | 1 | 31 | 84 | 116 |
29 | 1 | 38 | 80 | 119 |
30 | 1 | 16 | 53 | 70 |
31 | 3 | 24 | 31 | 58 |
32 | 5 | 27 | 48 | 80 |
33 | 1 | 15 | 17 | 33 |
34 | 0 | 7 | 6 | 13 |
35 | 1 | 1 | 2 | 4 |
36 | 2 | 7 | 9 | 18 |
37 | 2 | 12 | 12 | 26 |
38 | 2 | 8 | 11 | 21 |
39 | 0 | 9 | 6 | 15 |
40 | 0 | 8 | 2 | 10 |
41 | 0 | 0 | 1 | 1 |
42 | 2 | 4 | 9 | 15 |
43 | 7 | 5 | 13 | 25 |
44 | 0 | 2 | 9 | 11 |
45 | 4 | 7 | 7 | 18 |
46 | 0 | 5 | 6 | 11 |
47 | 0 | 4 | 4 | 8 |
『豊羽鉱山30年史』より作成。 |
いくつかの鉱害=水質汚染問題が生じていたようであるが、ここでは三件を紹介しよう。第一件目はすでに再開間もない頃に発生していた。前述したように二十六年二月四日、水没坑内の排水が開始されたが、その直後、札幌市の水道水が濁ったために、十日から排水が中止され、十五日から十八日まで北大理学部助教授、道衛生部、市水道課からなる調査団が現地に赴いている。調査の結果は、鉄分の度合いが二月一日一リットル中〇・〇七であったのに対して、今回は〇・七二であり、豊羽鉱山の排水の流入以外に原因は考えられないというものであった。そこで対策打合会が関係者を集めて開かれ、①鉄分が沈澱するように沈澱池を改造すること、②沈澱池から放水するときはクロール石灰(さらし粉)を一トンにつき四グラム混ぜて濾過をはかること、という対策が決定された(道新 昭和26・2・20、24)。
第二件目は昭和三十二年頃からの藻岩浄水場系の上水道汚染問題であった。これも市側の調査で坑内排水中のマンガンによるものであることが明らかとなり、三十七年、浄水場におけるマンガン処理費用の一部を鉱山が負担する等を内容とする市水道局と鉱山間の協定(いわゆるマンガン協定)が締結された(札幌の公害)。
第三件目は三十六年に表面化した石山地区の地下水汚染問題である。これは当時の札幌市において大きな社会問題となった。札幌市東保健所が検査を実施し、地下水は「亜鉛、硫酸イオン、総硬度等の分析値よりみて選鉱廃水の影響を受けている」という結論を出した。住民達は「石山地区鉱毒対策促進期成会」を結成して事に当たった。豊羽鉱山は道立衛生研究所に依頼して三十七年から水質検査をし、四十四年には初めてカドミウムについても調査された。その結果、基準値以上のカドミウムが一件検出され、さらに翌年には六件検出された。四十五年十月、このことが初めて住民に知らされ一気に社会問題化した。住民側は「石山水道建設期成会」を作って市営上水道の敷設を要請した。札幌市は四十五年十月、四十六年一月、四月と三次にわたって独自の調査をおこない、その結果は四八七の井戸のうち、亜鉛で五六(11・5パーセント)、カドミウムで一二(2・5パーセント)が飲料水基準を超えていた。四十六年二月二十四日、札幌市公害対策特別委員会は健康診断・水質調査・上水道設置などの要望を内容とする石山地区地下水汚染対策関連の請願二件を満場一致で採択し、それぞれ実施に移された。四十七年九月、上水道敷設工事が完了し、こうしてほぼ十年余にわたった鉱毒問題はようやく一応の解決を見た。しかし上水道完成後の水質検査においても依然として基準を超える数値が検出されており、決して汚染自体がなくなったわけではない(浅田政広 戦後豊羽鉱山における鉱害問題の顚末)。