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模範衛生地区の指定

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 衛生組合はわずか一年(昭22・8~23・8)で解散となったが、この期間に公衆衛生行政上次の二点が進展していた。一つはモデル保健所が指定・整備され、二十三年十月には伝染病予防の徹底を図る指導者として衛生監視員制度(人口五万人に一人・全道七七人)を発足させ、下部に補助監視員(人口一万三〇〇〇人対一人・全道二六〇人)、さらに衛生班(五人体制)による消毒・昆虫駆除の防疫と、事務や啓発宣伝を担当させることになった(厚生省五十年史)。
 二つめは、二十四年九月、旧来の取締行政を住民の手で是正する見地から、住民の自主的「模範衛生地区」が大通東部地区(南大通以南~南3条通以北、西9丁目以西~西13丁目通以東)に設定されたことである。大通東部地区は、二十五年に各戸収集であったゴミを共同収集に切り替え効果をあげたため、全市に拡大するなど実質面で模範とされた(昭24事務)。伝染病予防だけでなく、「清潔」が「快適な日常生活」に結びつく意識改革を図り、それを自主的に推進し始めた初期に当たる。
 衛生班による札幌市独自の全市環境衛生の指導のひとつに、全市各住宅の衛生状態を採点式で評価する「環境衛生採点方式」(優良可の色別標識を玄関に貼る=図2)が実施された。二十五年にPHWサムス准将が札幌モデル保健所を視察した際、衛生班が各戸を巡回指導するこの採点方式について全国に類例がない非常に良い方法なので、全国的規模で実施したいと感心したことがあった。成績を二十四年と二十七年とで比較すると「優」が一五パーセントから二四パーセントに増加し、「不可」が一〇パーセントから一・四パーセントに減少し効果があった(市衛生統計年報第3巻、昭25事務)。衛生班の組織と活動は解散した衛生組合を実質的に継承したもので、基調においては隣保組織の構造と意識とが戦後もこのように連続していた。だが、このボランティアが後の国民運動「ハエ・蚊のいない運動」に繫がる基礎となっていく。

図-2 札幌市環境衛生活動で玄関に貼ったラベル