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藤屋鉄工所労組の解散

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 この間の二十八年五月、札樽金属労組金子鉄工支部(二三人)では遅配賃金三カ月分の支給要求交渉が難航し、一〇日間のストで四月分給与が支給された。三菱系列の中山機械支部でも石炭不況のあおりで人員整理が行われ、同年九月、同じく札樽金属加盟の藤屋鉄工所労組(九一人)は、会社側の工場閉鎖と三七人の人員整理案に対抗して無期限ストに入った。十月七日、会社側は事業所閉鎖を宣言したが、札幌地区労が「金属労働者の産業防衛闘争」として全道労協等の支援で全道金属産業労働者総決起大会を開き、一方、会社・組合・第三者(道労政課・札幌労政事務所・全道労協等)による再建委員会も設置された(札幌の労働運動)。しかし、「銀行は融資の途を全く閉ざすし(中略)、賃金の遅滞は3ケ月にも及んで、労働組合は独自の金融によって組合員の生活を支える有り様」となり、工場は「事実上倒産整理となった」(藤屋系鉄工史)。かくして組合も、退職金・未払金等の処理交渉を経て十二月三十日全員解雇を受諾し、戦後労働運動の先端を切り、札樽金属労組の中核を担ってきた組合も解散した(資料北海道労働運動史 昭27-32)。