市営地下鉄開業が半年後に迫った昭和四十六年九月、私鉄総連道私鉄労組定山渓鉄道支部(七八八人)は支部定期大会で「組合員の生活を守るため」として、定鉄バス部門と札幌市交通局との合併「一元化」要求方針を採択した。札幌地区労・全道労協ともにこれを支援し、「札幌圏交通対策共闘会議」が結成された。組合は署名活動やストライキで会社と札幌市の双方に一元化を求め、会社側もまた札幌市と折衝を重ねたが、同年十二月、地下鉄が開業し解決は翌年に持ち越された。組合は、四十七年一月十九日から四八時間ストに続いて二十六日からの四八時間ストを決定し、道私鉄労組も、札幌冬季オリンピック開幕日の二月三日に定鉄支部が二四時間ストを行うことや、大会期間中の支援バス乗務拒否などの方針を決定するなどで交渉は難航。二十六日から入った市議会議長斡旋の結果、①真駒内・定山渓間市営バス乗り入れ回数を二六往復とし、②市への受け入れ人員を一八一人とすることなどの斡旋案を会社・組合ともに受諾し(全道労協運動史)、冬季オリンピック開幕目前の一月三十日、「労働組合が企業経営の一部を地方自治体に譲渡するよう迫るという、全国でも例を見ない特異な争議」は解決をみた(札幌の労働運動)。