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「蚊とハエのいない札幌市建設」運動

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 市赤痢予防対策本部は、環境衛生の徹底化をはかるため、衛生協力会とともにDDT散布などを行うとともに、啓発運動として「ハエ取り」運動を二十八年八月に一カ月間開始した。ハエ一〇〇匹を出張所へ持参し、石けん一個と交換する対策をとったところ、一〇日間で合計六六万六〇〇〇匹、最多ハエ取り地区は豊平地区の七万匹であったという(広報 昭28・8・15)。
 折しも、翌二十九年は第九回国民体育大会開催地に当たるため、全市を挙げて共同ごみ箱(八一四個)の清掃などを実施したところ、翌三十年六月「蚊とハエのいない生活」国民運動が閣議決定され、三カ年計画国土建設国民運動として開始されることになった。市の「ハエ取り」運動はこの一環に移行し、「蚊とハエのいない札幌市建設運動」へ向けて、模範地区の指定や、学童を通じて家庭への浸透を図り、また、衛生協力会に対する協力などの実施要領を定めた。具体的には、全市一斉に便所の改善、厨芥の処理にごみ箱を設置し、下水・側溝へフタを設置してハエのさなぎ撲滅を生活改善の一つにした(昭30事務)。同運動の三十二年度石狩管内優秀地区に選ばれた豊平町豊羽鉱業所社宅地区の場合は、自主的な衛生組合(豊平町は衛生組合と称した)を結成し、女性組合長を選び幼虫駆除、実地指導、殺虫剤散布、清掃コンクール、ネズミ駆除の年間計画を立て、特にごみを分別し消却処分を実施した(道新 昭33・3・18)。
 続く三十三年、北海道博覧会の開期中に、「ハエと蚊のいない生活」運動の「第二回全国環境衛生大会」が札幌で開催され、同年の夏に一五〇万人の観衆が札幌入りしたが、開期中に赤痢の発生数が前年同期を下回るなど効果を上げ、清潔な街づくりが健康と快適な生活に直結するという思想がこの時期に一般的となった。