札幌市の新制中学校設置には次の三点の特色がある。
第一は、新学制実施準備協議会の設置までの動き出しが、他県・都市に比べて遅いという点である。その結果、新制中学開校も全国的にみて遅いものとなった。「準備計画のたいまんが新学制実施をおくらせている一番大きな原因となつている」と『道新』に指摘され(昭22・4・10)、道庁中田教育部長は開校時期について「なんとか五月三日の憲法発布までには開校したいと鋭意準備を進めておりますが、あるいは若干おくれるのではないかとも心配しています、新学制はもとよりその完全実施を理想とすべきですが、こうさし迫つてはむしろ拙速主義でと努力している次第です」と語った(同上)。
第二は、暫定的な出発であったという点である。高等科単置の国民学校三校が空襲にあわずにあったことから、この三校を新制中学校にし、それでも収容できないものは中等学校に併置することにした。一年生のみを義務制・男女共学とし、二、三年生は希望者のみとし男女別学とした。これは全国的にみても同様であるが、このような暫定的な措置に対して、高田市長は「二十二年度は私の市長就任直後のことでもあり、私としてはこれで果たしてよいのかと思いながらも、当時の教学課案をそのまま鵜呑みにせざるを得なかった。それは(中略)極めて姑息なものであった」としている(高田富與 市政私記)。
しかし特筆すべきは第三であり、校長には旧制の中等学校校長などいわゆる大物校長が配置された点である。これは、道庁教育部の「新制中学は、旧制中学に劣らないものとして出発したんだという印象をあたえなければならない」(同上)という意図を具現化したものであった。市視学の戸田定信が北辰中学校の、庁立札幌第一中学校長の安延三樹太が柏中学校の、庁立札幌高等女学校長の伊坂員維が一条中学校の、それぞれ学校長として任命された(道新 昭22・4・23)。