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PTAの活動

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 昭和二十一年、北海道軍政部民間情報教育課は占領政策の一環として、道内各学校に設置されていた父兄会、後援会、保護者会、その他の学校援助団体の解散とこれにかわるPTA(父母と先生の会)の結成を指示した。その基本的性格は父母、教職員が中心となって相互に学び合うことにあり、学校、地域にわたる社会教育関係団体であったがその主旨の浸透には少なからず時間を要した。
 新学制の発足にあたってPTAはこれを支援する役割も担った。とくに新制中学校の中には地域によっては学校づくりにPTAが積極的にかかわり、父母と教師がカリキュラムづくりに取り組んだ例などもみられた。
 PTAはその基礎単位を学校におき、さらに市町村、北海道などの各段階に対応した連合組織がつくられた。二十三年四月に札幌市PTA連合会が結成された。その後、札幌市小学校PTA連合会は二十六年八月、札幌市中学校PTA連合会は三十年十月、北海道高等学校PTA連合会は二十六年秋、それぞれ結成された。これと前後して二十三年に結成された全道PTA連合会は札幌を中心として全国PTA、行政との調整の役割を果たした。また、それぞれの組織では、それぞれの学校の独自課題の実現に力を注ぐとともに、定例的に研究活動を行ってきた。これらの活動の蓄積のもとに、二十九年九月十五日から十六日に北海道PTA連合会の第一回研究会が「PTA運営の課題とその方向」を主題として開かれ、以後、継続的に研究会が持たれている。
 四十四年八月七日から八日に開かれた第一七回全国PTA研究大会は、北海道・札幌の最大の行事の一つであり、中島スポーツセンターを主会場にして全国から六〇〇〇人の参加を得て開催された。四十七年の札幌市の区制の実施にともない、五十三年、それまでの連合体から札幌市PTA協議会に改組した。父母と教師がともに学び合うPTAは、社会教育関係団体の中では最大の規模を擁しているが、その活動は、戦後の学制改革と札幌市の急速な大都市化の中で、学校教育の直面する諸課題への対応に重点が置かれたといえる。