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『くりま』

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 昭和三十年代は札幌を中心とした同人誌が北海道の文学活動を活性化させた。名古屋の『作家』北海道支部版として創刊された『北海作家』(昭和三十年五月~三十二年九月、八冊)は和田謹吾相内晋橋崎政、永田栄らに呼びかけて結成された。続いて高校教師たちによる『北緯四十三度』(昭和三十年十一月~三十一年十一月、一〇冊)が創刊された。昭和三十一年七月創刊の『凍檣(とうしょう)』は朝倉賢川辺為三が中心になり、倉島齊渡辺淳一も加わって道内創作界をリードする役割を果たした。六号からは『くりま』と改題し、渡辺淳一の「華やかなる葬礼」(八号)を改題した「死化粧」は四十年十二月号での新潮同人誌賞を受賞した。九号から参加の寺久保友哉も「ジャンパー」で文芸学生コンクールで佳作第一席となった。渡辺淳一の直木賞受賞、寺久保友哉の芥川賞候補三回に続き、四十六年に入会した高橋揆一郎は芥川賞を受賞した。職場文芸誌『全逓北海道文学』の創刊は三十二年九月である。『新創作』(昭和三十二年三月~四十九年五月、一五冊)の編集発行人は早川平で一一号(昭和三十九年十二月)は「島木健作特集」を出した。『北限』(昭和三十五年四月~四十七年七月、一九冊)の編集人は瀬戸一幸で松居陽子向井豊昭などの創作が注目された。