昭和四十年に入って歌誌の発刊はさかんになる。『新凍土』は四十一年三月の創刊。『凍土』の第二期的役割を担い、庶民的な集団として誰でも気軽に参加できる自由な作歌の場を目標とした。編集は山名康郎、発行人は宮田益子。講座で宮田の指導を受けた、とくみ会、リラの会、あすなろ会、水曜会、金曜会などが合流し、四十六年に宮田が死去した二年後に宮田益子賞を設置した。『樹氷帯』は四十二年三月に創刊した。『いしかり』が終刊したあとを受けて水口幾代が編集発行人となり、大平忠雄、深野庫之介、藤森蝶二、久保賢洋、村田良枝などが参加した。四十六年二月号で編集発行人は大平が担当した。大平の死去により四十八年九月をもって終刊。