国内外からの来演組による演奏会は、独奏や室内楽から次第に大編成のものへと進み、昭和三十年代に入ると外来オーケストラも迎えるようになった。その初めてのものは三十一年六月のロサンゼルスフィルで、中島スポーツセンターでの公演だった。ついで三十四年のチェコフィル、三十五年のボストン響(ミュンシュ指揮)、三十八年のポーランド国立大響、四十一年のベルリンフィル(カラヤン指揮)があった。ボストン響とベルリンフィルの会場は市民会館だったが、市民会館ができた後でも、座席数の多い中島スポーツセンターでの公演も続いた。
四十三年のバンベルク響(岩城宏之指揮)以降は毎年のように外来オーケストラが来演する時代を迎えた。四十四年にはウィーンフィル(ショルティ指揮)とロンドンフィルの二つ、四十五年にはクリーブランド管(セル指揮)、レニングラードフィル、ニューヨークフィル(小沢征爾指揮)の三つを迎え、四十七年には冬季オリンピックに際して芸術行事にミュンヘンフィルが来演したほか、フィラデルフィア管(オーマンディ指揮)が札幌で公演し、ザルツブルク・モーツァルテウム管の道内巡演もあった。
この時期、こうした多額の経費がかかるコンサートを手掛けたのは新聞社や放送局で、会社のイメージアップもその使命に据えての開催だった。三十七年十月にはHBCが、市民会館に、作曲家のジョン・ケージとデビッド・チューダー、新進指揮者として注目されていた小沢征爾らを迎えて「現代音楽祭」を開くといった先進的な取り組みもあった。