合唱、吹奏楽に続いて、マンドリンにも全道組織が生まれた。北海道プレクトラム連盟が結成されたのは昭和四十二年五月で、プレクトラムとはマンドリンを演奏する際に持つつめのことである。連盟には札幌の七団体を含む全道一九団体が参加した。札幌の九島勝太郎が顧問、小樽の酒井正忠が会長に就任した。四十四年には日本マンドリン連盟北海道支部も結成されて、実質的にはそちらが主体となって活動を行うことになった。
クラシックギターでは二十八年に東京から札幌に来て教室を開いた大塚房喜らによる下地づくりがあり、三十年代後半に人気のピークを迎えると同時に、藤垣秀雄(四十三年第一位)らの全国コンクール上位入賞者も輩出した。
ほかのジャンルに比べて遅れをとっていたオーケストラの世界にも、四十六年に坂井繁指揮の札幌フィルハーモニー管弦楽団と斉藤信和指揮の札幌市民交響楽団(現札幌市民オーケストラ)が相次いで生まれた。メンバーには、三十五年から本格的に活動を開始した加藤愃三指揮の札幌西高校管弦楽団、三十九年に生まれた斉藤信和指揮のHBCジュニアオーケストラで育った奏者が含まれており、全国の大学でオーケストラを経験した人たちも増えてきたという社会背景があっての、ようやくの誕生だった。