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地神碑

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 五穀豊穣と収穫感謝に関わる農民信仰の代表的存在が地神碑である。札幌市内には一二基あり、そのうち一〇基までが北区に集中しているといわれている(新琴似百年史)。他の二基は上砥山神社境内と定山渓農地神社境内に安置されているもので、いずれも五角柱のいわゆる五神銘塔である。全道的には地神碑には一神銘塔を加えた二類型の存在が知られている。

写真-14 地神碑(明治34年建碑,新琴似神社)

 地神碑が地域住民にとって鎮守社と同様の信仰対象であったことは、定山渓農地神社の創設経緯からも伺うことができる。すなわち、明治四十四年(一九一一)に徳島県人の大西吾平が天照皇大神、大国主神、倉稲魂神、猿田彦神、大山祇神を祭ったのが創始とされている。その後、人口の増加により拝殿を建立し、大正六年(一九一七)には社殿を現在地に移転して、御影石で御神体を作った(みなみ区ふるさと小百科)。五角の面に刻銘された祭神には地区によって微妙な違いが認められるが、いずれも農業に関わりの深い神々という共通の特徴を持っている。
 新琴似の地神碑は「徳島県を中心とする瀬戸内海地方が発祥の地といわれる。それは碑の下に刻まれている建立願主の名からも証明でき、石川貞右ヱ門は屯田兵石川浅太郎の父、原繁三郎は同原佐平の父でいずれも徳島県の出身である」(新琴似百年史)といわれているように、この碑石の源流地は概ね特定できる。