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刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日)

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 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において近藤重蔵、松浦武四郎らにより広い北海道を統轄する候補地として注目されていた。明治二年(一八六九)に開拓判官島義勇によって本道の首府として建設の礎が築かれて以来、すでに一一〇余年が経過しているが、その間、札幌は本道における政治・経済・文化など様々な分野の中心として発展してきた。昭和四十七年(一九七二)には政令指定都市となり、人口も一四〇万人を超えて全道の四分の一を占め、六大都市の仲間入りをするまでに至っている。明治初期の人口が極めて僅少であったことを考えると、その発展過程には驚異的なものがあり、この事実は他に類例はなく、近代都市へと成長した貴重な歴史的体験を有する都市ということができる。
 これまで、札幌に関する修史は四度刊行されている。明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「札幌區史」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して刊行した「札幌市史」(「政治行政篇」、「産業経済篇」、「文化社会篇」、「概説年表」四部作)、さらには、昭和四十三年の創建一〇〇年を記念しての概説「札幌百年のあゆみ」、「札幌百年の人々」、「札幌百年の年譜」三部作がある。
 このうち、「札幌市史」を刊行してからでもすでに二十余年が経過しており、この間、昭和三十年には琴似町、札幌村、篠路村、三十六年には豊平町、そして四十二年には手稲町と合併して市域は四倍近くになり、その後の急激な変貌には目をみはるものがある。三十四年にポートランド市と、四十七年にミュンヘン市と姉妹都市の提携をし、五十五年には瀋陽市と友好都市を結ぶなど国際都市としての拡がりも見逃すことはできない。
 このように膨張をとげている札幌に対し、市民のあいだから、合併町村を総合して現在の市域を複眼的に捉えるとともに、〈北海道のなかの札幌〉〈日本のなかの札幌〉という広い視野からの市史を待望する声が強い。近年における郷土史の研究は飛躍的に高まっているが、なお貴重な資料が散逸しつつあることから早急に発掘・調査を進め、それらの成果のうえにたって本格的な市史を刊行することは急務である。そのことは、日本における〝近代都市〟の典型を示すという極めて大きな役割を担うことにもなろう。
 昭和六十三年には創建一二〇年を迎えるが、それを記念して「新札幌市史」の刊行が求められる所以である。この事業は、先人の遺産を後世に伝達するにとどまらず、札幌が二十一世紀に向けて発展してゆくための羅針盤としての役割を果たすものと確信する。