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増大する人口

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 札幌が政令指定都市として出発した昭和四十七年は、人口が約一一〇万で全国大都市の中では第七位であった。当時は自然増加と社会増加の比率は三七対六三で、社会増加の方が大きくまさっていただけに(札幌市の人口と住宅 昭51)、多くは転入者で占められていた。札幌への転入は四十六年の調査によると、転勤三三・三パーセント、就職・転職三一・七パーセント、転校・入学・受験一〇・四パーセントとなっており、転勤者と就職・転職がほぼ並んでいた。「道内各都市に比べて高い賃金、チャンスの多い就職条件、それと教育施設が多く、バラエティーに富んでいることが、この街に来る理由のよう」とされていた(道新 昭49・1・21)。四十七年前後はオリンピック、政令指定都市と人口増加にともなう諸施設の建設、高度成長などが重なり、景気がよく労働市況が好調な札幌へ吸引される人々が多かったし、一方では産炭地や農村部の過疎化という現実もあった。
 その後、五十年六月に住民登録で一二〇万人を超え、五十四年十一月一日に神戸をぬき第六位、五十八年五月一日に京都をぬき第五位となり、東京、大阪、名古屋、横浜につぐ人口順位を続けることになる。五十九年十二月十三日をもって一五〇万人に達する。そして、六十三年に一六〇万人、平成四年に一七〇万人、十年に一八〇万人に至っている。
 表1は昭和四十五年から平成十五年までの札幌市の人口推移を示したものである。これをもとに人口増加の動態を微視的にみると、昭和三十年代なかばより毎年四万人台規模で増加し続けていた札幌市の人口であったが、その傾向は四十八年の五万一一九五人増加の最大数値を最後にして、五十年より三万人台の増加とやや下降に向かう。それでも他の大都市にはみられないほどの増加率であったし、三万人台の増加も一〇年間は維持されていた。五十九年からは二万人台に減り、平成四年からは一万人台と鈍化傾向に入っていくようになる。これでわかるように昭和四十五年から五十年にかけてが、毎年四パーセント台の増加率を示し、札幌での最大の人口増加数の時期であった。
表-1 人口推移
人口備考
昭451,010,123 100万人突破
461,051,928
471,099,102 政令指定都市へ移行
481,152,377 110万人突破、人口増加数51,195人の最大を記録
491,201,498 120万人突破
501,240,613 昭58まで人口増加数3万人台
511,275,548
521,305,692 130万人突破
531,333,713
541,367,124 神戸市をぬき6位
551,401,757 140万人突破
561,432,394
571,463,076
581,493,367 京都市をぬき5位
591,519,764 150万人突破、平3まで人口増加数2万人台
601,542,979
611,566,871
621,593,205
631,618,861 160万人突破
平 11,645,095
21,671,742
31,694,988
41,714,488 170万人突破、以下人口増加数1万人台となる
51,728,466
61,740,534
71,757,025
81,774,540
91,791,221
101,803,546 180万人突破
111,812,029 人口増加数8,900人の最低を記録
121,822,368
131,833,531
141,846,035
151,859,035
『札幌市統計書』(平16)・国勢調査人口による(推計も含む)。

 全道人口に占める札幌市人口の割合をみると、四十五年が一九・五パーセント、それが五十年には二三・二パーセントにふくらみ、平成七年からは三〇・九パーセントと三割を超え、十二年では三二・一パーセントに至っている(概要、平12)。人口面でも道都札幌への一極集中化がみてとれ、ここには全道的に考えた場合、様々な問題が胚胎しているといわなければならない。