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板垣市長の三選

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 板垣市長は五十四年の選挙でも勝利し、三選を果たした。この選挙で板垣は自民党・民社党の推薦の他に、新自由クラブ・社会民主連合推薦と公明党の支持を取り付けた。対抗馬は社会党・革新自由連合推薦、共産党支持の岡田義雄であった。岡田は三十年に道議に初当選して以来、連続五期二〇年にわたって道議を務めた人物で、四二年から社会党道本部書記長、五十年道議引退後は社会党道本部委員長に二年間在任した。立候補時点では北海道生活協同組合連合会会長を務めていた(道新 昭54・4・8)。
 革新側の候補をめぐって、五十三年一月二十日に札幌地区労が常任委員会で、「板垣札幌市長と互角に闘える最強にして最善の候補」として社会党横路孝弘衆院議員(北海道第一区)を次期市長選の候補者に推すことを全会一致で決定したことから、横路擁立の動きが生まれた。横路の後援会はこれに反対し、横路自身も立候補固辞の姿勢を示したが(道新 昭53・1・21)、社会党道本部や全道労協は横路擁立に動き、この問題は半年余りにわたって続いた。しかし横路は応じず、社会党道本部の公明党との市長選共闘の目論みも困難となった(道新 昭53・8・28)。その後、一五年半にわたって革新市政を維持してきた道内第二都市旭川市の市長選(五十三年十一月)で革新候補が敗れたことから、十一月中旬より再び社会党道本部は札幌市長選の横路擁立に動いたが(道新 昭53・12・10)、五十四年一月十日、横路は正式に出馬を辞退した(道新 昭54・1・11)。
 四月八日に実施された選挙の結果は、板垣四五万八一九四票、岡田二一万七二三八票で、板垣が二四万票の大差で勝利した。