戦後、札幌市職員によって昭和二十一年に札幌市役所職員組合、札幌市交通局労働組合(のち札幌交通労働組合)、二十二年に市立札幌病院従業員組合(のち市立札幌病院職員組合)が結成された。三単組は共通課題について統一交渉を進めるため、二十三年十一月、札幌市役所関係労働組合連絡協議会(市連協)を結成した。二十六年の地方公務員法及び地方公営企業法改正によって、札幌市役所職員組合から札幌市水道労働組合(のち全水道札幌水道組合)が分離し、市連協は四単組で構成されることとなった。
また、戦後大量に雇用された臨時職員は、三十年代初めに清掃、建設、学校給食の三つの臨職組合を結成して、札幌市役所職員組合の支援のもとに市と交渉し、三十三年四月一日に準職員化、三十六年四月一日に本採用を勝ち取った。清掃と建設の臨職組合は、三十三年四月十二日に札幌市準職員組合を結成し、市連協に準加盟した。三十五年五月には学校給食の臨職組合も札幌市準職員組合に加盟し、三十六年五月五日には札幌市役所職員組合所属の単純労務職員・雇員七〇〇人を合わせて、札幌市役所労働組合(一一七四名)を結成した。同労組は市連教に正式加盟し、三十六年から市連協は五単組で構成されることとなった。
三十年代中頃から総評を中心とする労働運動が前進し、札幌市役所関係労働運動も活発な闘争を繰り広げていった。三十五年二月十九日に中央で公務員共闘会議が発足すると、これを契機に五単組の協議体であった市連協は改組され、十月十七日に連合体として札幌市役所関係労働組合連合会(市労連)が結成された。市労連は三十七年六月十五日に市電市バスの終日ストライキを実行した他、四十~五十年代にかけて二九分ストや一時間スト、市長室前座り込み、デモ行進など行い、ベアや人勧完全実施、夏期手当・年末手当増額、春闘などの闘争を展開した(以上、札幌市労連二十年の歩み)。