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桂市長の誕生

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 平成三年の市長選には、板垣市長の後継指名を受け、助役であった桂信雄が立候補した。自民、社会、公明、民社四党の推薦を得た桂に対抗して出馬したのは、共産推薦の佐藤富士夫(北海道勤労者医療協会副理事長)と出版社編集長の中野英一(無所属革新)であった。四月七日の選挙の結果は、桂五三万七七三八票、佐藤一五万四六六九票、中野七万一七四四票で、桂が大差で当選した。

写真-3 桂信雄市長

 今回の市長選の特徴は、初めて保革相乗り候補が当選したことである。社会党は昭和四十六年から三回にわたって社共統一候補を擁立したが、その後二回の市長選では候補擁立を見送り、今回は保守中道勢力と相乗りするに至った。桂の得票は目標の六〇万票に届かず、「不透明な保革相乗り」に札幌の有権者が冷ややかな対応をしたとされる(道新 平3・4・8)。
 桂信雄は、昭和六年(一九三一)札幌市に生まれた。二十八年、北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職した。市役所では施設局市街地開発部長(昭44)、総務局財政部長(昭46)、北区長(昭47)、企画調整局長(昭50)、教育長(昭54)を歴任し、五十八年六月に助役に着任した。平成二年五月、助役を退任し、市長選出馬に及んだ(朝日 平3・3・23夕)。桂は初の札幌生まれの市長であり、また初めての市役所生え抜きの市長でもあった。これで札幌市では三代連続で助役出身の市長が生まれた。