北海道博覧会は四十三年の北海道大博覧会に続く、全道規模の博覧会として五十七年六月十二日~八月二十二日の会期で北海道、札幌市、札幌商工会議所、北海道新聞の共催で開かれていた。五十五年九月二十七日に初の実行委員会がもたれて、五十七年は青函トンネルの開通、千歳空港の国際化、石狩新港の建設などの大型プロジェクトがあり、二一世紀を展望しながら北海道の姿を見直すという趣旨のもとでの開催が方向付けられていた(道新 昭55・9・28)。会場には道立産業共進会場(月寒グリーンドーム)が使われ、テーマを「いま、『北の時代の』出発」とし、テーマ館、エネルギー館、食料館、北方圏館などのサブテーマ館、各種パビリオンが設けられた。博覧会には八〇〇を超える企業・団体が出展し、総事業費は約二〇〇億円であったが、会期中は好天に恵まれ展示内容が充実していたこともあって、二六七万六一七七人が入場する好評ぶりであった。
世界・食の祭典は「食・人間・地球」の統一テーマに、道などが出資する(財)食の祭典委員会の主催で六十三年六月三日~十月三十日に開催された。月寒(月寒グリーンドーム)、大谷地(アクセスサッポロ)を主会場とし、月寒会場にはアイマックスシアター、未来宇宙館、アイヌ民族生活館、大谷地会場には恐竜館、アメリカ映画村、中国館などのパビリオンがあり、他に大通・函館会場も設けられていた。道内開催の博覧会としては空前の規模であり、総事業費約一三〇億円をかけ四〇〇万人の入場者を見込んで開催されたが、博覧会は不人気で実際は一七五万八八〇〇人の入場者にとどまり、九〇億円という巨額の赤字を出して閉幕した。
道の開催決定が六十一年末で準備期間が短かすぎたこと、やや商業ベースに走りすぎていたこと、開催と組織運営に不透明な部分がみられたことなどが失敗の原因であり、会期中からもトラブルが続出し、閉幕後は大きな政治問題化することになる。また食の祭典は、安易な博覧会を開催することに警鐘をならす役割となった。