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乳業

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 雪印乳業に関しては、札幌工場(東区苗穂)の動向を紹介することにしたい。札幌工場では道央圏を集乳地域として牛乳、ヨーグルト、脱脂粉乳、バター、アイスクリームなどを製造していたが、道央圏の都市化にともない、酪農家が移転・減少し、管下集乳工場の統廃合が進められた(雪印乳業(株)札幌工場 苗穂三六番地―札幌工場50年の歩み― 昭51)。低成長期には、道内工場の統廃合・集約化方針により、昭和五十二年、札幌工場は長年にわたり製造してきたバター、脱脂粉乳の製造を廃止し、飲用牛乳、アイスクリーム製造に集中することになった(雪印乳業 雪印乳業史第五巻 昭60)。昭和五十年代は「テトラパック」牛乳の全盛期だったが、需要は「チコパック」へと変化したために五十八年に製造機を切り換えている。瓶からワンウェイ製品(紙パック)への転換も進められた。五十年代に製造されはじめたLL牛乳(ロングライフ牛乳。冷蔵しなくとも長期貯蔵可能な新製品)に関して、メーカー、酪農家、消費者の利害対立が生じたが、農水省の仲介により五十二年に条件付きでLL牛乳生産が認められ、札幌工場では道内LL牛乳生産を集約している(雪印乳業 雪印乳業史第五巻 昭60、雪印乳業 雪印乳業史第六巻 平7)。なお、平成十二年七月に大阪で発生した雪印乳業製品による食中毒事件は、発症者が一万人を超え、雪印乳業では札幌工場を含む全国二一工場の操業を停止した(道新 平12・7・12)。二十五日に厚生省が札幌工場を含む一〇工場に安全宣言を出し、札幌工場は二十八日から操業を再開した(道新 平12・7・26、12・7・28)。後に原因は大樹工場であったことが判明した(道新 平12・9・9)。
 農協系の乳業メーカーも続々登場した。昭和四十二年に十勝で設立された北海道協同乳業に起源をもつよつ葉乳業(株)は、本社を札幌に置いている。工場は札幌市内にもたないが、石狩湾新港にデザート製造の札幌工場を新設している(日本経済新聞社 北海道の中堅170社 平3、道新 平8・1・26)。サツラク農協は、東区丘珠のサッポロさとらんど内のミルクの郷に新工場「ミルク館」を設立、西区二十四軒の工場から製造機能を移転するという(道新 平7・10・28)。平成十一年のデータによれば、道内産生乳の九六・四パーセントはホクレンが受託販売しており、この販売先は一位雪印乳業(九三万九〇〇〇トン)、二位よつ葉乳業(八一万四〇〇〇トン)、三位明治乳業(六八万二〇〇〇トン)、四位森永乳業(三九万七〇〇〇トン)という順位だった(道新 平12・7・13)。