平成九年十一月十七日午前、当時の拓銀頭取は本店内での記者会見の最後に破綻の原因について触れ、「その最大の原因は、バブル期に膨らんだ貸し出しに起因する『不良債権』の一語につきる」と述べている(道新 平9・11・17)。したがって、ここでは不良債権形成に至る経過をかいつまんで見ることとする。
金融の自由化が進展し、大企業の銀行離れが進む中で、大手行をはじめとした銀行は「土地神話」などに支えられながら不動産融資などに傾斜していったが、拓銀もこの基本的な流れにやや乗り遅れながらも融資を重ねていった。問題の拓銀経営戦略「21世紀ビジョン」は、奇しくもバブル崩壊年の平成二年に一〇カ月の期間と三億円の予算を費やしてまとまったものであるが、それは道内での「リーディングバンク戦略」、本州での「ニューリテール(小口金融)戦略」、国際部門での「アジア重点戦略」、そして「企業成長支援・不動産開発機能」を柱としていた。しかし、同ビジョンが実施されていく中で、最後の柱、いわゆる「インキュベーター(新興企業育成)路線」がいつの間にか主役に祭り上げられていった(道新 平10・10・20)。その結果、大量の不良債権が生み出され、二一世紀を待たずして破綻してしまうこととなったのである。
具体的に拓銀の不良債権形成についてみる場合、九年十一月十三日に整理回収機構(RCC)が拓銀の営業終了と同時に、元頭取ら旧役員一一人に対し一〇八億円の損害賠償を求めて提訴した民事訴訟四件と二年後に提訴された一件、計五件をみるのが便利である。それは、後に貸出先企業の名を取って命名された「カブトルート」「エスコルート」「ソフィアグループルート」「栄木不動産ルート」「ミヤシタルート」の五件であり、危険で杜撰な融資の一部にすぎないが、これらが拓銀を死に至らしめた主要な不良債権といってよいからである。
「カブトルート」は建設不動産業カブトデコム(以下カブト)への融資ルートを指す。元年、カブトが総事業費約一〇〇〇億円を投じて洞爺湖と噴火湾を見下ろす絶景の頂(エイペックス)にホテルを建て、それを中心にゴルフ場、スキー場等を擁する一大リゾート地を建設するという構想を打ち出すと、拓銀は計画段階から積極的に関わっていった。しかし、バブル崩壊とともにカブトは経営不振に陥り、四年には追加融資も受けたが、その後は実質的に拓銀との関係は途絶えた。またホテル「エイペックス洞爺」は五年六月に開業したものの、拓銀の傘下に入った後の十年三月、負債総額約九五〇億円を残して自己破産した。なお先の拓銀頭取は、このホテル「ザ・ウインザーホテル洞爺」(旧「エイペックス洞爺」)に対する貸出残高は約六〇〇億円であるが、その担保価値は「ゼロに近い」と国会で答えている(道新 平9・12・10)。拓銀のカブトへの融資残高は、ペーパーカンパニーを通じた不正な迂回融資も含めて最大で約四〇〇〇億円にものぼったが、そのうち二年から五年にかけて行われた総額一一四五億円の融資に対して八七六億円の回収不能が生じた。「エスコルート」は、拓銀系列ノンバンク「エスコリース」(以下エスコ)を通した不良融資で、昭和五十八年から六十二年にかけて行われた「イージーキャピタルアンドコンサルタント」(本社大阪。ベンチャーキャピタル、以下ECC)に対するエスコの融資は実質無担保で総額二〇〇〇億円以上にものぼっていた。平成五年にECCが倒産し、このほとんどが回収不能となり、さらに昭和六十二年から平成四年にかけて融資された日伯(本社大阪。料亭など経営)経由の一八七億円のうち一六五億円も回収不能となった。エスコも平成十三年に負債三三五〇億円を抱えて破産した。「ソフィアグループルート」は、「ソフィア中村チェーン」(本社札幌。サウナ付き理容店)が構想した都市型リゾート「テルメリゾート」への融資で、昭和六十三年に「札幌テルメ」が、平成五年に「テルメインターナショナルホテル札幌」が開業したが、バブル崩壊後の景気低迷の中で赤字経営が続き、十年に倒産した。負債総額は六七二億円にのぼった。拓銀のソフィアグループに対する融資一五三億円全額が回収不能となった。「栄木不動産ルート」は、「栄木不動産」(本社東京)への融資で、同社は融資金を株仕手戦にそそぎ込み、失敗して平成三年に倒産している。拓銀からの融資は、小切手取引で四八億四〇〇〇万円、それが不渡りにならぬよう二年二月から三月にかけて追加融資された分六八億四〇〇〇万円、合計一一六億八〇〇〇万円にのぼり、うち六一億二〇〇〇万円が回収不能となった。「ミヤシタルート」は、内装・看板業を営む「ミヤシタ」(本社帯広)への融資で、同社は小豆相場や繭相場に融資金をそそぎ込んで失敗した。拓銀からの融資は二九億五〇〇〇万円(平成元年、小豆相場関連で二三億五〇〇〇万円、四年、繭相場関連で六億円)で、うち約一四億四〇〇〇万円が回収不能となった(道新 平14・7・26、9・4、17、12・26、平16・3・27)。
これらの訴訟については、十六年三月にようやく第一審(札幌地裁)判決が出そろったが、五件のうち四件は旧役員の注意義務違反を認め賠償金の支払いを命じている。すなわち、「破綻の最大の原因」である不良債権を累積させた責任が旧役員にあることを明確にしたといえよう。残りの一件(「エスコルート」)は、原告(RCC)敗訴とはいえ、大蔵省や日銀など当時の金融行政の責任が問われるものとなっている。
なお拓銀の細かな業況については、有価証券報告書を利用しながら後の道内四行の業況の箇所で述べる。