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札幌市内金融機関数の推移

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 この間の札幌市内金融機関数の推移を前掲表10でみると、総数は昭和六十一年の三九〇から平成九年の四六九をピークとして同十二年には四四一となっている。元年の地方銀行の激増は、相互銀行からの転換のためであり、また十年の都市銀行および地方銀行の数字の激変は、もちろん拓銀の破綻による北洋銀行への営業譲渡によるものである。信用組合の本店が五から三に減っているのは、北海商銀(平成十年五月破綻、のち仙台の北東商銀に事業譲渡)と共同信組(平成十一年四月破綻、同時に破綻した千歳信組とともに専和信組、後の北央信組に事業譲渡)の破綻による(ほかに平成十二年十二月には滝川に本店をおく道央信組が破綻し、その後も信組の破綻が相次いだ)。生命保険、損害保険会社はバブル崩壊後も札幌への進出が相次いだが、十一年以降は減少に転じた。これは東邦生命(平成十一年六月)、第一火災(十二年五月)、第百生命(同)、大正生命(同年八月)、千代田生命(同年十月)、協栄生命(同)などの破綻による。また消費者金融業(貸金業)の隆盛および銀行におけるリテール業務の進展によるものと思われるが、質屋数が次第に減少し、元年度をもって公営質屋が姿を消したことも、この間の特徴といえよう。
 こうして経済の変動に翻弄されながらも金融再編が進んでいく姿が、札幌市においても顕著に見られるのである。