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淘汰と再編

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 ではこのような状況のもと、札幌の卸売業者たちは景気の低迷による商品取引量の減少や本州大手卸商社による流通経路の短絡化・系列化などの進展、大型店の消費市場における相対的な地位の向上に伴う市場の領域狭小化にどのように翻弄され、あるいは立ち向かったのだろうか。
 昭和四十七年一月金物雑貨卸しの金小牧野、二月にはレコード卸しの岩泉、八月には酒類・食品卸しの名手漆行など、札幌をはじめ道内でも「しにせ」といわれる企業の倒産が相次いだ。これらは、本州大手資本との競争や業界再編に対して、地方への出店などによる過大な設備投資、無理な札幌都心部への出店、多角経営に乗り出す一方で、不動産売却、昔ながらの取引関係を重視するあまりの代金回収焦げ付きなどを繰り返し、倒産に追い込まれた(道新 昭47・9・7夕)。またオイルショック後の不況も重なり、五十一年三月事務機器・文房具の桧山商店、十二月末には婦人服の寺本、五十二年二月空調・配管暖房機器の桜井商事などが倒産に追い込まれ、また連鎖倒産や本州大型スーパーの道内進出による取引先小売店の売り上げ減、また本州大手卸売業者との価格競争に負けて倒産する場合もあった。ヴァン倒産のあおりをうける形で五十三年四月縫製・被服加工の付属品の(株)田渕、五十四年七月京呉服の札幌丸服、翌五十五年四月の食肉の豊島商事、同年八月婦人衣料の丸富、五十七年二月食品の丸吉食品、五十八年八月電気製品・電気材料の北洋電機、五十九年一月には五十三年の大晃倒産以来業績が悪化していた繊維の山岡商事、六十年十月米穀卸小売の高桑商店などがそれである。
 一方、メーカーと小売が直接結びつくなか、卸売業が生き残るために得意先と共存共栄を図ってどのような注文にも応じられる体制をつくるか、取引メーカーを絞りそのメーカーの商品を重点的に販売する体制をとるか(道新 昭和41・12・19)など、さまざまな模索がなされるなか、四十四年八月一日道内の化粧品、雑貨の有力卸売業者七社が集団合併に踏み切り、(株)ダイカが誕生した。参加したのは札幌の十全堂、石田商店、大幸、旭川の石倉産業、釧路の丸文、岩見沢の山崎商事、北見の丸協で(道新 昭44・5・18)、その後さらに五社が加わった。この合併は、大型量販店の進出により中小小売店に製品を卸す問屋の市場が圧迫されることを見越して営業網の拡大をねらったものであり(道新 昭56・8・21)、この後も五十五年一月の靴・はきものの北海セイカと札幌の三信倉庫、東京の岡本理研ゴムが資本・業務提携し、五十六年十月日用雑貨の粧連と東京の第一文化堂の合併が行われた。一方北酒販のように酒類・ビールの需要が頭打ちになるのを見越して、森永製品を主力商品として食品市場への進出を強化したり(道新 昭50・10・1)、大手スーパーのニチイが取引のある卸売問屋との結束や共存共栄を図るために「北海道ニチイ会」を結成するなど小売業側からの業界再編の働きかけも見られた(道新 昭55・8・19)。また五十六年十月にはさらなる経営発展を目指して菓子のナシオが北見から札幌に本社を移すなど、地方の卸売業者の札幌進出がみられた。