表-20 中央卸売市場取扱状況 |
青果物 (トン) | 金額 (百万円) | 水産物 (トン) | 金額 (百万円) | |
昭40 | 98,676 | 5,449 | 64,069 | 9,363 |
45 | 151,365 | 11,774 | 111,009 | 27,751 |
50 | 199,750 | 26,557 | 142,845 | 81,191 |
55 | 292,911 | 48,026 | 155,160 | 122,528 |
60 | 303,389 | 53,154 | 150,187 | 122,936 |
平 2 | 326,359 | 67,752 | 157,651 | 152,152 |
7 | 318,584 | 68,271 | 173,814 | 151,510 |
12 | 325,825 | 60,748 | 194,003 | 164,432 |
『札幌市統計書』による |
また施設や取り引き方法の問題だけでなく、四十年代前半の中央卸売市場は①札幌の野菜の値段が高いこと、②赤字の累積、③青果物仲買業者二社が倒産し、この結果札幌青果物精算会社への支払いの焦げ付きが発覚し精算制度の改善が必要となったこと、④円山朝市内の内紛に端を発した場外市場問題、⑤青果部卸売業者の複数化など多くの課題を抱えていた。そのため市は本州方面の産地に出荷懇請班を派遣して道内出荷を働きかけ、赤字に関しては全国一高いといわれた市場使用料をさらに値上げするなどの措置がとられた(道新 昭41・9・17)。また五十年にはより開放的な市場運営を図るとして、青果物部では全面売買参加者制度を、水産物部では限定売買参加者制度を実施し、五十一年五月には青果部卸売業者の複数化を実施した。
一方施設の拡充に関しては、四十二年から四十六年までの五カ年計画で総額二三億円で施設整備を行い、四十八年には水産本館、五十一年には青果本館を増築し、開設当初の二倍の規模になった。また将来の取扱量の増大を見越し、四十七年には豊平川以東一円を供給区域とする東部市場の建設計画がたてられ、当初は大谷地流通業務団地内に土地を取得し五十三年度開設を目指したが、その後オイルショックや「二百カイリ」問題による水産物取扱高の減少などで五十五年度、五十七年度と開設時期が延期され(道新 昭54・11・4)、また表20にもみられるように五十年代後半取扱量が伸びないこと、予想人口の伸びの鈍化、景気低迷による消費の伸び悩みなどもあって、結局五十八年開設が凍結された(道新 昭58・10・5)。