昭和五十三年五月二十八日、セブン・イレブンは北区北三三条西一〇丁目に一号店を開店し、その月の三十日には豊平区旭町、翌三十一日には南区南三二条西一〇丁目、さらに六月末には東区本町と次々と出店攻勢をかけた。もともと札幌では、四十六年量販店に対抗すべく酒、食料品卸しの丸ヨ西尾が得意先の酒販店を近代化し共存共栄を図ろうと結成したセイコーマートが店舗展開しており、五十五年までに北海道スパー、北海道サン(のちにローソンと全面提携、サンチェーン)、国分グローサーズ(のちにKGC)などが進出、五十七年四月には長崎屋の子会社であるサンクスも新規参入を遂げた。このようなコンビニの急速な増加は、「商業近代化」に手をこまねいている小売商店にとって新たな脅威とみられたが(道新 昭53・5・27)、大型店と違い売場面積が一〇〇平方メートル前後のコンビニには法的規制はなく、また店舗が多いほど大量仕入れで原価が安くなることから、店舗の拡大は止まらなかった。ただしコンビニの商圏は半径二五〇メートル以内であることもあって、当初は顧客の奪い合いより加盟店獲得争いのほうが顕著であった。
五十七年の大型店凍結から平成二、三年ごろまでが、札幌におけるコンビニ増加のピークといえる。当初五十九年ごろに札幌では「コンビニは飽和状態」といわれた(道新 昭59・2・27)が、結局店舗増にかげりがみえはじめたのは平成四年ごろで、このころ店舗数が二五〇〇人に一店の割合になった(道新 平4・8・13)。ちなみにアメリカでは三〇〇〇人に一店を超えた段階でコンビニの淘汰がはじまったという。ただし、ここまでコンビニが店舗数拡大のペースを維持した要因は、大手スーパーが五十七年の大型店凍結により、営業時間や出店で大店法の規制を受けない系列下のコンビニを次々に出店させ消費生活の変化に対応したこと、後継者難や大手量販店に対する脅威から酒類販売店などを中心に大手チェーンに参加する個人商店が増加し、またそれが大型店にとっても小売店との共存共栄策となり、行政にも消費者保護、小売店保護の観点から歓迎されたことなどである。しかしその反面、キヨスクの閉店が平成九年ごろから顕著になる一方、大手系列の高額な契約料や営業方針についていけずに個人商店に戻り、「パルム」、「サンハート」、「サンコー」など独自のグループを結成し共同で販売促進、仕入れに取り組む店舗(道新 平2・3・31)や、自らコンビニエンスストアチェーン「ウィズ」を結成する動きもあった(道新 平9・7・16)。また札幌における出店が頭打ちになると、大手コンビニチェーンは、道内地方都市への出店を強化し、八年には道内二〇〇〇店舗を突破したが、この時期から札幌市内でもコンビニは「淘汰の時代」に入った(道新 平11・6・6)。