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札幌旅館協同組合の大型ホテル建設反対運動

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 大型ホテルの新増設は市内の中小旅館の経営を圧迫し、転廃業を余儀なくされる旅館業者もあらわれた。昭和四十年代前半に札幌旅館協同組合に加盟していた旅館業者一五〇軒は、五十五年には九五軒に激減していたが、さらに同年十一月には大正十二年(一九二三)に創業した駅前旅館北門館が市街地再開発ビル建設のために廃業したほか(道新 昭55・11・22)、明治十八年(一八八五)創業の老舗丸惣旅館(昭43 ホテル丸惣)も五十九年六月限りで廃業、オフィスビルに転換した(道新 昭59・2・24)。
 五十五年一月、京王プラザホテル札幌の工事着工をひかえて、中小ホテルと旅館が加盟する札幌旅館協同組合は大型ホテル対策委員会を設置し、ホテル側に建設の反対決議を申し入れるとともに、札幌市と札幌商工会議所には開業許可を厳しくすることと、進出するホテルと地元業者との懇談の場を設けることを陳情した(道新 昭55・1・31)。
 同年二月同ホテルと組合と札幌市の三者が協議した結果、ホテル側は客室を三〇室削減し、中小旅館と競合しない価格を維持することで組合と和解し(道新 昭55・2・19)、同ホテルは五十七年五月に開業した。
 また大型ホテルの乱立は既存のホテルの経営淘汰をもうながした。札幌グランドホテルは同じ三井観光開発が所有する札幌パークホテルと経営機構を一本化させることで経営強化を図り(道新 昭57・7・3)、ニューミヤコシ(北2西3)は京都市に本部を置く法華クラブに経営を移譲し(道新 昭58・3・25)、札幌プラザホテル(南七西一 昭49開業)は不動産・ホテル運営の大手である北海道振興に譲渡、ススキノグリーンホテル3として営業を再開した(道新 昭58・7・27)。また平成元年三月には伊藤組が経営する札幌国際ホテルが閉鎖し、改築後はオフィスビルとして使われることになった(道新 昭63・9・9)。