ビューア該当ページ

レンタル業の躍進

437 ~ 438 / 1053ページ
 生活関連サービス業のなかでも新たに創出され、急速に市民生活にとけ込んだ業種としてレンタル業が挙げられる。レンタルサービスの先駆けのひとつにダスキン(本社・大阪)による化学ゾウキンがあるが、その普及率は北海道が全国一であった(道新 昭48・8・4)。そのダスキンが昭和五十年代後半には山地商事と提携して、レンタルの百貨店ユナイテッドレントオールを開業させる。同店はベビーベッド等の一過性の商品に照準をあてたほか、利用促進のために企画や会場設営等も請け負い、豊平区、東区、西区と、急速に店舗展開を進めていった(道新 昭59・2・7)。
 レンタル用品は小児用品や旅行カバンから、単身赴任者を相手にしたベッド、テレビ等まで多岐にわたり、「必要なときだけ使えばそれで十分」という消費者の割り切った感覚がレンタル産業を盛り上げていった。平成二年三月には消費者金融の大手アコムがレンタル事業での本道進出第一号店として、地下一階・地上九階のレンタル専門店レンタルアコムを北一条西三丁目のビジネス街にオープンさせている(道新 平2・3・27)。
 また四年四月には建設機械販売レンタルの片桐機械からグループ企業のレンタコム北海道を独立させる形でレンタコム札幌が設立された。同社は建設機械を扱ってきた経験を活かしてイベント分野の取引を主としていたが、個人向けレンタル用品にも力を入れて市場の拡大を図った(道新 平7・1・6)。
 こうした用品の種類と品数を売り物にする大規模なレンタル業が増える一方で、昭和五十九年には映画の大手配給会社が字幕スーパー入りの映画ビデオの製作・配給とレンタルサービスに踏み切ったことから、札幌でもビデオテープのレンタルを専門とするレンタルビデオ店が開業する(道新 昭59・5・16)。ビデオデッキの一般家庭への普及にともなって利用者は増え、六十二年三月市内のレンタルビデオ店は一〇五店を数えた(さっぽろ経済 昭62・3)。店舗の乱立はダンピング競争を激化させ、著作者の許諾なしにダビングしたものを使ってレンタルする法律違反の店もあらわれた。メーカー側は著作権保護に向けて監視機構を設けて啓蒙・指導にあたり、レンタルビデオ店では利用者の年代層の拡大を図って、店の信頼を高めるべく健全経営を目指した(さっぽろ経済 昭62・3)。レンタルビデオ店はその後、CD(コンパクトディスク)やLD(レーザーディスク)、さらには書籍のレンタル・販売等も始めるなど、規模を拡大させて経営の強化を図っている(道新 平10・3・24)。