昭和四十二年郵政省によって、それまでのVHF(超短波)テレビ局にUHF(極超短波)テレビ局を加える方針が明らかにされた。これにともなう新局の大量設置はチャンネルの地域格差を縮め、地方のテレビ文化を豊かにするとともに地方経済に刺激を与えた。北海道ではUHF局の第一号として、四十二年十二月に北海道テレビ放送(HTB)が設立、翌十一月三日から本放送を開始、四十七年四月一日にはUHF局第二号の北海道文化放送(uhb)が開局している。同社は一月からサービス放送を開始し、同二月に開催された札幌オリンピックも電波に乗せたことから同社の知名度は一挙に広がり、開局三年目の四十九年度決算ではやくも黒字転換を果たした(uhb 20年の歩み 平5)。
さらに六十三年十月一日テレビ北海道(TVH)が開局したことにより、東京の放送局をキー局とする民放テレビが五局そろうことになった(道新 平1・9・11)。