昭和六十年代の好景気を背景に、札幌市は平成元年さらに豊平区(現清田区)真栄にハイテク工業団地「札幌ハイテクヒル真栄」の造成に着手する。総面積は四三ヘクタールで、札幌テクノパーク(第二期造成分を含む)の四倍近い広さであった。
対象企業はエレクトロニクスやソフトウェア関連企業のほかに、バイオテクノロジー、新素材などの試験研究施設、生産施設や実験農場等まで広げられた(道新 平1・2・1)。
進出を決めた第一号は日立製作所(本社・東京)で、同社の進出によって、富士通、日本IBM、日本ユニシス、オムロン(旧立石電機)、松下システムエンジニアリングと、わが国大手コンピュータメーカーのソフト開発拠点が、札幌市にほぼ出そろうことになった(道新 平2・1・17夕)。
次いで、日本電気やリコー等も進出を決めるが(道新 平2・2・28、3・3・7)、用地を購入した大手企業の着工は、不況による企業のリストラ(再構築)で大幅に遅れ、平成六年時点で開業したのは地元企業の化合物安全性研究所一社のみ(道新 平6・6・23)、十一年時点でも九区画のうち三区画は売却のめどが立たず、市は成長が見込まれる新産業を視野に入れた誘致戦略の練り直しを迫られることになる(道新 平11・6・15)。