昭和三十四年(一九五九)に一万一三三五人を数えた北海道在住韓国人及び朝鮮人数は、その後、同年末からの朝鮮民主主義人民共和国への帰国運動や道外転出、日本人との結婚や帰化などにより一貫して減少し、五十年には七〇五九人となった。一方で札幌市在住者数は増加を続けて五十年には道内在住者数の三〇パーセントを超え(表5)、五十六年六月、
札幌日韓友好親善協会が結成された(北海道韓国民団史)。この間の四十一年から、日韓法的地位協定により戦前から居住する在日韓国人及び「二世」の協定永住が認められ、道内在住者の職業動向にも次第に変化が生じ、専門的職業や管理的職業、事務などの従事者が増加した(表6)。しかし、「三世」の法的地位や指紋押捺義務の廃止などは持ち越しとなっていた。朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)道本部は、昭和四十七年の南北首脳会談後も日本人民間団体と提携して社会保障や行政差別撤廃、指紋押捺反対運動などを継続し、民団(在日本大韓民国居留民団、平6 在日本大韓民国民団と改称)道本部も、五十五年に国民年金国籍条項撤廃などの「生活擁護闘争」に集中的に取り組み、五十七年には行政差別撤廃運動や
外国人登録指紋押捺常時携帯撤廃要求の署名運動、全道市町村への請願・陳情活動などを積極的に展開した(同前)。
表-5 国内・道内・札幌市の在住韓国人・朝鮮人数の推移 |
種別 年次 | 登録韓国人・朝鮮人数 | 札幌市の北海道に占める割合 | 札幌市の外国人総数に占める割合 |
全国 | 北海道 | 札幌市 | 登録外国人総数 | 占める割合 |
昭36 | 567,452 | 10,078 | 1,182 | 11.7% | 1,483 | 79.7% |
40 | 583,537 | 9,032 | 1,615 | 17.9 | 2,054 | 78.6 |
45 | 614,202 | 7,702 | 1,813 | 23.5 | 2,328 | 77.9 |
50 | 647,156 | 7,059 | 2,233 | 30.9 | 2,786 | 80.2 |
55 | 664,536 | 6,966 | 2,449 | 35.2 | 3,159 | 77.5 |
60 | 683,313 | 6,731 | 2,595 | 38.6 | 3,738 | 69.4 |
平 2 | 687,940 | 6,274 | 2,596 | 41.4 | 4,603 | 56.4 |
7 | 666,376 | 6,125 | 2,731 | 44.6 | 6,303 | 43.3 |
12 | 635,269 | 5,955 | 2,729 | 45.9 | 7,585 | 40.0 |
数値は各年12月末日現在、ただし昭和36年の北海道及び札幌市は3月末日現在。全国の数値は樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』、北海道及び札幌市は『北海道統計書』『札幌市統計書』『市史統計編』による。 |
表-6 北海道在住韓国人・朝鮮人の職業別人口の推移 |
区分 | 昭39年 | 昭59年 | 平6年 | 備考 |
総数 | 9,220 | 7,235 | 6,444 | |
専門的職業 | 38 | 115 | 168 | 技術者、教員、医療保健、宗教ほか |
管理的職業 | 166 | 235 | 350 | |
事務 | 156 | 414 | 459 | |
貿易・販売業 | 1,088 | 853 | 638 | 貿易、古鉄等売買、その他販売従事 |
農林・漁業 | 387 | 58 | 32 | |
採鉱・採石業 | 76 | 14 | 3 | |
運輸・通信業 | 103 | 108 | 100 | |
建設・生産労働 | 1,455 | 514 | 293 | 建設、生産工程、単純労働等 |
サービス業 | 194 | 311 | 284 | 料理人、理・美容師、娯楽場等従事 |
芸術・著述家等 | ― | 35 | 17 | 芸術芸能、文芸・著述家、記者ほか |
無職 | 5,552 | 4,571 | 4,093 | 主婦、学生・生徒・児童など |
分類不能 | 5 | 7 | 7 | 不詳を含む |
卞東運「北海道在住の韓国人・朝鮮人の実態把握」(『アリラン』第3号 平11)より集計作成。 |
国民年金の国籍条項撤廃は五十七年から実施されたが、外国人登録法違反事件が各地で起こり、六十年には指紋押捺拒否者が道内で一六二人(全国で一万四一六五人)を数えた(北海道韓国民団史)。五十七年、北大在学中の在日韓国人が北区役所で外国人登録切り替え申請などで指紋押捺を拒否し、六十一年、名古屋地裁は罰金三万円の有罪判決を下した。六十三年に名古屋高裁でも有罪となった被告は「完全無罪」を主張して最高裁に上告したが、平成元年(一九八九)二月、昭和天皇死去に伴う大喪恩赦により「法廷闘争」の場を失った(道新 平1・2・8)。道内の恩赦対象者には、外国人登録証不携帯で逮捕され最高裁で審理中の青年や、朝鮮国籍の団体職員もいた(道新 同・2・9)。民団道本部や総連道本部は、在日韓国人・朝鮮人の人権や在留権保障に関する地方議会への陳情・請願活動を活発化し、運動は道日韓親善友好協会連合会のほか労働組合など日本人団体にも広がった。また、北海道議会が民団・総連双方の陳情・請願に基づく意見書を、札幌市議会がそれぞれの陳情・請願を可決し、同年四月までに道内の九市三町一村議会と道議会が意見書を採択した。同様の運動は全国でも急速に広がり、四月二十日現在で二七都府県議会、一三五市町村議会が意見書等を可決するなど「大きなうねり」となった(道新 平2・4・20など)。
平成三年十一月、
出入国管理特例法により「特別永住者」資格が規定され、昭和二十年の終戦以前に日本に渡り、同二十七年のサンフランシスコ平和条約発効で日本国籍を失った後も在住する外国人及び子孫に資格が付与されることになった。さらに、翌四年五月、永住外国人に限定して指紋押捺制度を廃止し、写真、署名、家族事項の登録を代替手段として導入する「(改正)外国人登録法」が成立した。平成五年一月八日の施行により、国内の登録外国人約一二一万八〇〇〇人のうち在日韓国人・朝鮮人ら永住・特別永住者約六三万八〇〇〇人などに適用され、道内では在住韓国人・朝鮮人のうち約五五〇〇人、中国人三〇〇人、その他外国人二〇〇人、合わせて約六〇〇〇人が対象となった(道新 平5・1・8など)。なお地方自治体職員の外国人採用に関しても、自治省が昭和六十一年、保健婦・助産婦・看護婦など専門的職種について日本国籍は必要ないとの通達を出して以降、全国の自治体で徐々に医療技術職や技能労務職などの受験が認められるようになり、札幌市では平成十年、一般事務職についても国籍条項を撤廃した。