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労働時間短縮と週休二日制の普及

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 昭和六十年(一九八五)春闘において、総評が「時短」一年目、同盟が「時短元年」と位置づけ、総労働時間二〇〇〇時間以内と週休二日制を政策・待遇改善要求の柱として政府交渉や単産レベルでの要求を強めて以降も、「長~い労働時間」の北海道(道新 昭60・4・6)ではむしろ時間数が増加したが、全国的には大手企業を中心に週休二日制や時間短縮が徐々に進んだ(図2)。六十二年、改正労働基準法で週四〇時間制が目標として規定され、週四〇時間制の実現と年間総労働時間を六十三年度以降五カ年で、一八〇〇時間に短縮するという目標が政府の「経済運営五カ年計画」に設定された。その動向を受けて人事院は六十二年、公務員についても、勤務時間短縮や週休二日制の積極的推進が必要であるとする「週休二日制・勤務時間制度に関する勧告」を行い、六十三年四月十四日から開庁方式による「四週六休制」が実施された。さらに同年十二月、土曜日閉庁関連四法案が参議院本会議で成立し、平成元年一月から土曜日閉庁がスタートした。隔週休とはいえ、土曜閉庁による四週六休制の本格実施により、わが国週休制度の明治期以来の慣習が大きな転換期を迎えた(日本労働年鑑 第59集)。

図-2 年間総実労働時間の推移
北海道経済部『労働ガイドブック』平成13年度版

 平成二年以降、春季生活闘争連絡会は「平成五年度総労働時間一八〇〇時間」(週四〇時間・完全週休二日制の実現)を掲げ、全労連系も同じ要求運動を強化した。民間全国単産レベルで完全週休二日制や五週九休、休日・休暇増が急速に進み、四年には全国の総労働時間数が初めて二〇〇〇時間を割る。道内でも「何らかの週休二日制」「五月連休の増」「夏休みの導入」などによる労働時間短縮が進み(資料北海道労働運動史)、平成元年に二〇九二時間だった札幌市の総労働時間数も一九四八時間(月一六二・三時間)になった(表19)。この間の三年、人事院は週休二日制について、民間における普及状況等から「完全週休二日制へ移行させることが適当」とする勧告を行い、翌四年四月から国家公務部門の完全週休二日が実現した。北海道では四年八月から学校等を除く道庁各機関が、また、札幌市でも翌五年一月から公務部門が完全週休二日制となり、五年の市内勤労者平均総労働時間数は一八九四時間に短縮され、月平均出勤日数も二〇・二日となった(表19)。しかし、その後は大きな変化は見られない。また全道的には、民間で十四年に「何らかの週休二日制」を採用している事業所は七一・三パーセント、業種別では金融・保険業九五・五パーセントを最高に、どの業種でも五〇パーセント以上が実施し、規模別では「三〇〇人以上」八八・四パーセントを最高に規模が大きいほど高く、一〇人未満では五九・五パーセントとなった。形態別では完全週休二日制二四・五パーセント、その他の週休二日制一九・一パーセント、隔週週休二日制一五・七パーセントなどとなっている(平成14年度労働福祉実態調査調査結果)。