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札幌市女性行政の始まり

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 札幌市は昭和四十九年(一九七四)四月、厚生局青少年部に婦人主査を新設し、オリンピック女子選手村の村長を務めた小野寺奈緒美を登用した。行政職として初の女性係長である。翌年市民局青少年婦人部を設け青少年婦人主幹(課長)、五年後に婦人主幹を新設し、本格的な女性行政に乗りだした。
 まず「新一年生おかあさんの集い」(植樹など入学記念のアイデア提供後、サークルに育成 昭48)を継続し、婦人ボランティアスクール(修了後結成されたグループは福祉施設奉仕など自主活動を展開)の開設、婦人会館の管理運営(昭50)に加え、婦人週間中の「女性のための講演会」(昭52)や、姉妹都市ポートランドとの婦人交流事業(昭55)なども始めた(青少年婦人活動の概要)。
 国際婦人年以後の政策に対応する取組みとして五十四年には、庁内プロジェクトチームによる初の総合的な『婦人の現状調査研究』報告を作成した。「数字でみた札幌市の婦人」という五〇に及ぶ統計は、女性の人口・家庭・労働・教育・社会参加について他の七政令都市との比較を含み、札幌の特徴を示すものであった。
 たとえば婚姻率・離婚率、市内転入率・転出率がトップの一方、同規模の神戸に比して公立保育所・公立私立の幼稚園数、製造業就業者の比率、幼稚園と小中学校の女性教員数、女子の大学進学者数は半分以下である。また公職の参加状況については、五十三年末、教育委員会初め六つの行政委員会への女性参加はゼロ、四六の各種審議会・協議会中女性参加は二七あるが、そのうち一〇の委員会でたった一人だった。
 報告は教育行政や区における女性行政の現状と課題を述べて、市独自の行動計画策定のためさらに多角的な調査を予告した。その結果が『百万都市の婦人―婦人の生活構造と生活志向に関する報告書』(昭55)と『札幌市婦人特定調査報告書―婦人問題と婦人施策に関する提言』(昭56)の発行であった。どちらも関清秀(北大教授・社会学)の指導による。
 前者は五十四年秋、当時一四〇万人の札幌市内に居住する二〇歳以上の女性二〇〇〇人を対象にした「一般調査」である。「社会地区の性格、世帯構造と家族の特質、職業、社会参加、社会的ネットワーク、生活意識、生活環境」という項目で基礎的な「婦人の生活事実の解明」を行った。青少年婦人部はこれを要約・図示したダイジェスト版を作り、広く配布した。「夫は外で働き、妻は家庭を守る」と役割分担を理想とするのが五八パーセント、「子どもが大きくなったら再就職」支持が五〇パーセントと、役割分担意識の根強さは注目された。
 後者は五十六年三月、大学教員・会社管理職・婦人団体役員・労組関係者・報道関係者等「各界各層の指導的地位にある専門職」女性一〇〇人と、「婦人問題関連職務」にある男性三〇人を対象にした特定調査である。前記の「一般調査」から資料を示し、自由なコメントも要望した。その結果を分析し、施策への理念・提言をまとめた。具体的な提言としては、「保育所の増設・拡充 婦人労働相談所の開設 婦人職員の採用拡大 婦人の専門職増設 審議会・委員会への女性登用」などがみられた。
 この間教育委員会社会教育課は、引き続き婦人学級(昭33)、家庭学級(昭39)、婦人教養講座(昭42)、婦人リーダーの国内研修(昭45)、婦人ボランティア活動促進(昭51 幼児への読書奉仕・家庭教育相談・学校図書館開放)などを担当した(札幌市社会教育事業概要、札幌の社会教育)。しかし四十年代に始まった民間カルチャー教室の盛況も影響して、婦人教養講座は五十年で姿を消し、婦人(女性)学級も平成十一年に終了した(札幌市の男女共同参画施策の推進状況)。