ビューア該当ページ

札幌支部結成

589 ~ 590 / 1053ページ
 札幌市に道内各地から仕事を求めてウタリ(同胞)が集まるようになったのは、昭和三十年代後半からである。四十六年(一九七一)十二月十二日、呼びかけ人小川隆吉の「ウタリ協会石狩支部結成会へのおさそい」に応えて札幌市民会館で最初の会合があり、同月二十二日有志二二人によって石狩支部が結成された。「結成会へのおさそい」文で、「いまなおつづく大小の差別と偏見、生活の苦しみをなくするため、わたくしたちが味わった苦い経験を二度と、弟や妹、子供たちにはさせない、そして平和で豊かな生活を平等な権利をえるために、おたがい語りあい、はげましあいたい一心からこうしてよびかけております」と、熱い思いを伝え、千歳・石狩・恵庭・札幌在住のウタリが中心だったので石狩(のち札幌)支部とし、会則も次の四カ条を掲げた(祝賀会 支部結成10周年記念 昭57)。
 ①生活上の悩みを出しあい助けあっていく。
 ②健康で文化的な生活をするため制度の活用を。
 ③仕事上のことで困っている事等を相談し助け合っていく。
 ④アイヌ文化を守り発展させる。
 初代支部長には小川隆吉が就任した。冬季札幌オリンピックが開催された四十七年、北海道ウタリ協会主催による「アイヌ物産展」が札幌市内のデパートで開催され、支部でも木彫熊を中心に展示即売会に出品した。当時札幌に居住のウタリの主な生計維持は木彫熊の製作であったため、支部では、公費による共同作業場建設を札幌市議会に請願した(道新 昭47・10・26)。この結果、四十八年アイヌ民芸品企業組合として作業所がオープンする(道新 昭48・12・25)。
 なお、札幌市から札幌支部への助成開始は五十三年四月からである。