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札幌市生活館

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 四十九年一月、札幌市在住のウタリの人々が就職、進学、その他さまざまな面で立ち遅れている生活の向上を目指し、行政相談や地域活動の場を提供する施設として生活館の建設運動を開始した。五十二年二月には、板垣市長に対し小川隆吉支部長たちが建設要望書を手交した。札幌市議会への請願運動を経て、建設運動が継続され、五十三年六月に札幌市生活館建設が決定、十一月白石区本通にオープンした。三〇〇平方メートルの用地に木造モルタル二階建て延べ一九八平方メートルの建物で、大小の会議室、事務室などの設備があり、就職相談、進学相談、サークル活動などを目的とした施設であった(道新 昭53・6・13)。完成を祝って翌年一月、「アシリチセノミ」(新築祝いの儀式)が行われた。生活館には、五十四年六月支部事務局が開設され、生活相談業務をはじめ、アイヌ民族の古式舞踊「札幌ウポポ保存会」(昭和五十四年ウポポリムセ部会結成、平成三年十二月名称を保存会とする。六年十二月重要無形民俗文化財に追加指定)やアイヌ語教室「ウエカルパ」も発足、アイヌ民族伝統文化の保存継承運動の場としても活用された。

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写真-11 札幌市生活館での「アシリチセノミ

 五十五年、札幌支部の会員数も一二六世帯・家族数四六二人に達した。生活館は、札幌市域で暮らすウタリの人々の拠り所としてさまざまに活用された。代表的なものを掲げると、①職業訓練の場、②ウタリ子弟の日曜学習会、③生活相談窓口などであった。①は、アイヌ民族の伝統工芸を学ぶ短期職業訓練織布科を開設、講師(アイヌ刺繡家三上マリ子)を迎えて女性たちが訓練を受けた(祝賀会 支部結成10周年記念)。この職業訓練は、季節労働者の仕事がない時期に三カ月と六カ月の短い期間、技術を身につけさせて就職に結びつけようというねらいで始まったものである。以後継続して行われた。②は、五十四年二月、ウタリ子弟の進学率が全道平均よりもかなり低いことから職業選択を狭くし、収入にも影響を与えているという理由から、「教育障害を取り除こう」といったねらいで「日曜学習会」が始まった。ボランティアの学生・教師の協力、父母の積極的参加によって、開設一年八カ月を経た段階では「民族の自覚と誇りを持った子供を育てる」といった目標も合わせ持つようになったという。当時の札幌市域居住のウタリ子弟で、義務教育修了後進学した五〇人の進路追跡結果でも、過去五年間のデータでは、公立高校に入ったのは一〇人、このうち全日制高校に入ったのはわずか二人、進学といっても私立高校か定時制、専門学校、職業訓練校がほとんどで、長続きしないまま中退してしまうといった問題も多くあった。それゆえ、ただ進学を目指すのではなく、進学し学び続ける基礎学力を身につけるというのも大きな目標とされた(道新 昭55・10・31)。
 ちなみに、平成十一年度の場合、生活館運営費は一〇五三万一三四四円、またウタリ住宅対策建築費貸付金等は一一二〇万一九三三円であった(平成11年度決算 局別施策の概要)。