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「北海道価格」の解消へ向けて

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 北海道価格が問題視され始めたのは、昭和三十五年(一九六〇)のセメント、乗用車、石油、清酒の四品目に本州と価格格差があったことに始まる。札幌市は第一次オイルショック時に施行した札幌市消費生活安定条例に「北海道価格解消」の一文を盛り込んでおり、以降、通産省や業者にセメント、灯油やプロパンガスの格差解消を要請してきた。なかには四十九年に清酒やセメントなど、地元で生産しているにもかかわらず割高であるため、市生活物資緊急対策会議が業者に要請したところ、輸送量がかさむ、通年需要がないため需要がアンバランスであることを理由にして、依然として解消は進捗していなかった(道新 昭49・4・17)。また、乗用車は、五十四年に北海道消費者連盟(代表委員・鮫島和子札幌商科大学教授)が、自動車メーカー七社に価格調査と格差解消の回答を要請したところ、同一車種で東京よりも二〇万円高い一三〇万円の北海道価格もあり、輸送中の保険料や、寒冷地仕様の部品代が加算されているとした。しかし、東京に工場があるメーカーが札幌とほぼ同一距離の福岡に輸送しても、札幌には三万から五万円の高さで販売されるなど価格差の根拠もまちまちであった(道新 昭54・2・17)。北海道消費者連盟は五十四年に、マイホーム資材のセメントについて公正取引委員会にメーカーのヤミカルテルもあるのではないかとして、調査を申し入れたことがある。そのほか、北海道消費者協会は、平成二年にプロパンガス流通実態調査を行い、自動車、航空運賃、電気料金に広げていく計画を立てた(道新 平2・4・29)。
 このように、長年北海道向けに割高に設定された商品価格やサービスであったが、十年(一九九八)十二月に道内の企業家が大手各社航空運賃の独占的価格に対抗して、企業や道民、北海道、札幌市ほか道内自治体の支援を得て、道民資本金(二八億円)による北海道国際航空(エア・ドゥ)を起業した。新千歳~羽田間に航空機「道民の翼」を大手よりも九〇〇〇円安い、片道一万六〇〇〇円で運航を開始したところ、航空各社が追随値下げしたため、搭乗率が低下し、運賃競争で敗退した。また、企業経営としての採算見通しが実態と乖離していることからも、経営が悪化し、困難に陥ったエア・ドゥは、十四年十二月十二日、自主再建を断念、民事再生法の適用を受けて再建することになった。
 エア・ドゥの経営は破綻したが、十二年十二月に北海道は、エア・ドゥの就航によって新千歳~羽田間における運賃低減のエア・ドゥ効果を年間一五〇億円と算出した(道新 平12・12・8)。エア・ドゥの就航は、従来の割高な航空運賃体系を崩し、多様な新運賃体系が生まれる契機を作った。航空運賃の仕組みや、また、価格破壊は現実にありうることなど、多くの市民に消費者としての問題意識と関心を集めることにも通じた。
 自動車業界では、二年に小型車を中心に全国統一価格をうたった国産乗用車が初登場し(道新 平11・8・18)、その後、十四年、技術革新の成果により、性能向上で寒冷地仕様も必要なくなったことから北海道価格を全廃したメーカーが数社ある(道新 平14・9・19)。このように業種によっては、北海道価格の撤廃が進む傾向にある。