届出伝染病のインフルエンザ予防接種の実施は、昭和五十一年の予防接種法の改正とは別の経緯をたどった。インフルエンザ予防接種は、アジア風邪の大流行を機に三十六年から行政指導で実施されていたが、五十一年の予防接種法の改正により義務化されたため、満三歳以上に接種した。しかし、市内の接種率は五十八年の五七パーセントから、六十年四三パーセント、六十一年四〇パーセントに下がった。六十二年には集団強制接種から、親の判断による「同意方式」に変更され(道新 昭62・10・22)た。さらに、その後、ワクチンの型が流行に合致しない場合にはあまり効果的でないことや、他都市での副作用事故例が相次ぎ、平成元年には小学校での集団接種をとりやめ、医療機関での個別接種に切り替えた(道新 平1・9・20夕)。その後、国の過失が認定された四年の予防接種禍訴訟を契機に、六年の予防接種法改正により、義務による臨時接種から両親や学校の判断に任せる有料任意接種(希望接種)に変更され、ますますワクチンの接種率が下がった(現代の感染症)。毎年二月から三月頃集団風邪として猛威をふるい、二年はA香港型とB型が同時流行し、約七万四〇〇〇人が罹患した。三年はA香港型インフルエンザが流行し、三月五日現在市内の小中学校の学級閉鎖は二一校・二六学級におよんだ。インフルエンザの高熱から脳症となり、二日間の短時間で死亡する被害が老人と乳幼児に広がり、九年は市内の老人保健施設に入所していた五人が肺炎を併発して死亡した(道新 平9・1・24)。市立札幌病院の小児科部長・富樫武弘は、ワクチンで重症化を防ぐことができると、ワクチン接種に理解を求めた(道新 平9・3・26)。十年は札幌市小児科医会の研究グループ事例調査によると、道内で一五歳以下の子ども二二人が脳炎・脳症にかかり、そのうち七人が死亡した。このため市では予防対策に、子どものインフルエンザ合併症の実態調査を市内八三〇医療機関を対象に行った(道新 平11・1・28)。次いで十一年度から十三年度にかけては表23に示したように約一万五〇〇人から八〇〇〇人前後が罹患し、十一年の道内では二二人が死亡、そのうち市内では脳炎・脳症により乳幼児四人が死亡した(道新 平11・2・3)。予防は、うがいや手洗いの自衛とワクチン接種以外に方法はなく、市内一〇区の保健センターには一〇〇〇人を超えるワクチン接種希望の問い合わせがあったが、在庫は底をつき追加は不可能な状況であった(道新 平11・2・6)。