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医療従事者の集中と社会問題

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 厚生省の「昭和六十年までに最小限人口一〇万対一五〇人の医師を確保」(昭45)する目標により、大学の医学部入学定員増や一県一医科大学構想が実施された(厚生省五十年史)。その結果、表24に示したように、都市化による人口集中が著しい札幌市内の医師数は、常勤、非常勤を合計して昭和四十七年に約二〇〇〇人となり、六十一年の医療法改正時に一旦市外へ流出、減少し三七七一人になったものの、その後六十三年からは毎年一〇〇人規模で増え続け、平成十二年には約四八〇〇人となり、昭和四十七年の二・四倍にも増加した。この増加ぶりを人口一〇万人あたりの比率でみてみよう。平成八年末の北海道は一八七・〇人だが、札幌市は二五七・八人、旭川市は、昭和四十八年の「無医大県」解消政策による国立旭川医科大学の開設が反映して道内最高の三〇三・二人となった。同様に、八年の歯科医師数でも、全道が七〇・〇人、札幌が九七・四人、薬剤師が全道一四一・五人、札幌二〇六・六人となり、いずれも札幌に偏在していることがわかる(北海道保健統計年報)。
 では、全道における医師数の都市別占有率はどうであろう。八年末の道内医師の施設従事者総数は一万二七九人でそのうち、札幌の医師四三八一人(四三パーセント)、旭川市一〇三七人(一〇パーセント)、函館市六九六人(七パーセント)、小樽市三四三人(三パーセント)であり、この四都市を合計した六四五七人は道内の六三パーセントを占めるに至った(前掲保健統計年報)。都市部と地方市町村の医師および医療環境格差がこのように拡大した府県は他に類例が見あたらない。
 その一方、医師数の増加にもかかわらず、六十年ころから産婦人科と小児科医が減少傾向を示すなど、新たな問題も発生してきた。原因は少子化による出産や患者の減少とともに、小児科は技術と労力に対して医療報酬率が低いこと、産婦人科は夜間の重労働に加え、医療訴訟が最も多い科目であることなどから、札幌医科大学では両科目への入局者が、昭和五十年以降、平成七年までに半減した(道新 平7・6・4)。