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米飯給食と今後の学校給食

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 昭和五十一年度から、文部省は米飯給食に乗り出した。文部・農水・大蔵三省による米飯給食普及計画の実施によって、道内でも四月から九九七校、二九万人が米飯給食を取ることになった(道新 昭51・3・4)。その後米飯給食は普及を続け、五十二年度には道内実施校は、完全給食実施校の五六パーセントとなった(道新 昭52・1・28)。それと関連して五十三年度の三学期から市内ではハシ給食が始まった(道新 昭54・1・20)。
 米飯給食普及計画の最終年度である五十六年度には、米飯給食は道内の九六パーセントで実施された(道新 昭57・9・4)。五十七年度から実施された「米飯給食定着計画」では、週二回の米飯給食を、六十年度に二・五回、六十二年度には三回に増やすことが示された(道新 昭56・12・27)。ただし、札幌市内では四十九年に月一回に導入した以降、週一回になるのは六十三年度からである。市の学校給食が外部委託であるセンター方式ではなく、各学校で調理する自校方式であったことにより、炊飯専用の釜が不足していたからである(道新 昭63・3・27)。市では、さらに平成七年の二学期より週二回へ(道新 平成7・2・25)、十五年度から週三回で実施された(道新 平成14・6・22)。また米飯給食実施により、十年度から五年ぶりに給食費を値上げした。
 昭和五十七年一月二十二日には、全国学校栄養士協議会設立二〇周年を記念して、文部省後援による「全国統一献立」のカレー給食が実施されたが、札幌市内約半数と室蘭、苫小牧、釧路、それに町村の一~二割程度の実施にとどまった。全国でも二割程度と推定された。実施への反対理由は「味の画一化、食品添加物の使用、給食センター化に拍車をかけ、学校給食統制の意図がうかがえる」というものであった(道新 昭57・1・9夕、1・22夕)。
 市では平成十一年から学校給食の民間委託を開始した。市立小・中学校で給食調理に携わる職員は、十年度現在で七一三人で毎年二〇人程度の退職者が出ていた。市教委では十一年度よりこれを補充せず、欠員が生じた学校の調理職員を他校に移すなどして、五、六校の給食を民間に任せることにした。人件費圧縮に加え、献立見直しなど給食の質の向上などを目指すという理由であった(道新 平10・12・10)。これには強い反対運動も起こり、前述したように陳情・請願も多くだされた。しかし陳情などは不採択となり、平成十一年度から「楽しさとゆとりのある給食推進事業」が開始された。メニューが豊富になり、調理員が各教室まで給食を運搬することにより子どもたちの食事時間にゆとりを与えることが目的であった。また多目的室を整備して「ランチルーム」として、学年・学級間の交流を図る試みも行われることになった(道新 平11・4・8)。また小・中あわせて一〇校において、磁器食器の使用が始まった(道新 平11・6・17)。それ以前の四年度からは、減農薬栽培青果物の供給がはじまり、豆腐類・しょうゆなどの主原材料である大豆を非遺伝子組換え品に切り替える試みも十三年度からはじまった。

写真-6 ランチルームでの給食(百合が原小学校)