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五二中学区制への移行

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 昭和五十六年七月、道教委は五十三年の改善案を白紙撤回する形で、新たな改革案を発表した。五一学区(翌年度に五二学区となる)への学区細分化と、学力検査と選抜方法の簡素化を骨子とするものであった。ここでも総合選抜制は宙に浮いたままであった。細分化によって、これまでの石狩南・北両学区は五学区に分割された。市は、石狩ブロックのなかで旧南学区の市域を範囲とする「石狩第一特別学区」と、旧北学区の市域および石狩町を範囲とする「石狩第二特別学区」に二分された。特別学区とは学区外入学枠との関係でできた概念である。今回の制度で学区外入学枠は、普通学区と特別学区相互間で一〇パーセントとし、同一ブロック内での普通学区相互間、ブロック間で二パーセントに抑え、さらに特別学区相互間は〇パーセントとすることとなったのである。旧石狩学区域の学区外入学枠と志願変更規制については、図5に示した。この施策は有名校への過度の志向を緩和するためのものであり、石狩学区などにおいては経過措置がとられた。

図-5 石狩学区外入学枠と志願変更規制
『北海道年鑑』昭57年度版。

 学力検査は、日程が一日に短縮された。五教科受験の変更はなかったが、一教科あたりの時間数が五分減り、配点も一〇〇点から六〇点満点となった。これにより各教科の出問数は減り、内容も若干易しくなった。これは学習指導要領が五十五年度中学入学生から改訂されたことも関係がある。調査書と学力検査の比率は五対五のままであった。
 選抜方法も全日制普通科以外で大きく変更された。まず定時制と通信制では学力試験が免除された。道の五十六年度入試で見るならば、定時制は募集定員五〇四〇人に対し応募者は二〇七〇人で、倍率は〇・四一倍どまりであった。全道九六校のうち八七校までが定員を割る状況であった。五十六年度当時、札幌市立定時制課程は、定時制のみの札幌星園高等学校と、新川、平岸、啓北商業におかれていた。星園高校昼間定時制の倍率は高いものの、それ以外の定時制課程における、五十七年二月の入試の倍率は〇・六~一・二倍であった(道新 昭57・2・25)。市内の高校は都市部に位置していたが、それでも倍率は高いとはいえなかったのである。職業科では推薦入学制度が導入された。後継者養成を目的とする農業・畜産・栽培漁業などの学科では学校長の裁量により定員枠いっぱいまでの推薦入学が認められた。またこれら以外の農業と水産関係学科や商工業・家庭など職業の全学科と理数科・英語科・体育科では、学校長の裁量により定員の三〇パーセントの枠内で認められた。職業科などへの推薦入学制度導入は全国で二六番目であった(道年鑑 昭和58年度版)。