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ピーク以後の学級削減

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 定時制高校は、過疎地を中心に削減がすすんだ。昭和五十五年度に一〇五校あったものが、五十九年度には七三校に激減した。これによって全道五二学区のうち、一五学区で定時制課程がなくなった(道新 昭和58・11・29)。高校全体についても過疎地を中心に学級削減がすすみ、学校の統廃合も行われた。一方過密都市である札幌市では、中学卒業生がピークに達する平成二年度まで学級増が行われ、三年度に急増期に増やした学級数の減少がはじまった。四年度には、道内公立高校の約七割を四〇人学級にする計画となり、学級削減の進行はやや鈍った。しかし市の四〇人学級編成は見送られ、急増期に増やした学級削減が行われた。市を含めて道内すべての高等学校で四〇人学級となるのは八年度となる(道新 平7・9・6)。六年度入試には、進路決定に大きなウエイトを占める個人調査書に「観点別学習状況」の記載が新たに付け加えられた。観点別学習状況とは、「自ら学ぶ意欲、判断力、表現力などの能力を学力の基本」とし、それぞれの教科について「関心・意欲・態度」「表現の能力」といった四つの視点から三段階で評価を行うというものである。また六年度入試は、文部省がいわゆる「業者テスト追放」をうちだし、中学校間の業者テストのデータ交換を禁止した入試の最初の年度でもあった。
 学級削減はその後も続いた。九年度において道教委は、四〇人学級を適用すると一学級に削減せざるを得ない小規模校に、例外的に二学級を認める「特例二学級」の措置などを新たに導入したが、学級削減は進んだ。十年度は一時的に中学校卒業者が増えるため、市内の札幌南陵・札幌平岡など五校を含む一二校では学級数が増加した。この間、六年度から学年進行で新しい学習指導要領が施行された。社会科が地歴科と公民科に二分され、また家庭科が男女共修となった。八年四月には学科の枠を超えて授業をうけることができる「学科集合型」という道内唯一、全国的にみても珍しい高校が市内に新設された。道立の札幌国際情報高等学校である。