昭和三十年代以降、市内の国・公立大学においても学科の増設や、講座の変更、研究施設の増設など拡充の一途を辿った。北海道大学は三十年代に、工学部に衛生工学科(昭32年4月)、理学部に高分子学科(昭34年4月)などを設置した。四十二年六月には歯学部歯学科を設置し、一二学部を擁す全国屈指の大規模大学となった。北海道学芸大学札幌分校においても、課程の増設・施設の拡充を行った。三十一年四月に特別教科(音楽)教員養成課程を、三十三年四月に特別教科(美術・工芸)教員養成課程を設置し、さらに三十七年四月には養護学校教員養成課程を設置した。また四十一年四月には、全国的な動向と期を一にして、北海道教育大学に改称した。札幌医科大学も三十三年一月に医学部進学課程を設置した(平成15年度 全国大学一覧)。
三十年代後半から四十年代はじめには、いわゆる「学生紛争」が激しくなった。ベトナム反戦、高度成長と管理社会化に対する異議申立てなどが共通した背景となっていたが、とりわけ若い学生の苛立ちと怒りは「旧い大学(高校)の権威」に向けられた。大学の「大衆化」段階が始まりつつあったのに、その受け皿である大学は設備的・組織的にも知的にも準備ができていないとみなされたのである。道においては、国立大学を中心に学生紛争が始まり、それが私立大学にも波及した(市史5上第七章第一節参照)。